historyUTOヒストリー
1970年代「旅行屋時代」
旅行やとして、ニット業界の人たちをロンドン、パリ、ミラノ等をリサーチするツアーを作り案内していた。 ファッションのことは全くの無知で、パリにおられたデザイナーの島田順子さんに大変お世話になった。このツアーがきっかけで、㈱レ・アールというニットメーカーに入り思いもよらぬ転職。ニット屋に。
1980年代「ニット屋時代」

自社で販売していたカシミヤに出会い、軽くて柔らかいカシミヤの風合いに魅せられる。 日本国内を初めとし、香港、台湾、韓国の多くの工場を訪問しての生産を経験。 海外の工場に生産依頼のためにイギリス、イタリアの工場を訪問し、洋の東西の生産方法や考え方の違いを知る。
1992年「bhf時代」
ハイファッションのベースになる高感度のニットを提供したいと、港区南青山で創業。
bhfとはベース・オブ・ハイファッションの略。
2000年〜「UTO時代」
2000年
ニットは大量生産が常識。独立後はその多ロットと在庫で苦しみ、ニット屋からの撤退も考慮。
2002年
どうせ撤退する覚悟なら好きなカシミヤだけでもう一度やりたい、それで駄目なら諦めようと、カシミヤに特化し、業界では例を見ないニットのオーダーを開始。ヨーロッパやアジアのニット工場と仕事をした経験がスタートの原点。
2005年
ニット編み機(島製機SES)を導入し、山梨に工場を開設。

三越日本橋本店とコラボし「世界一の原料から物作りまでのトレーサビリティを証明できるセーターを提供する」という企画に参画。世界最高峰の原料を産する中国内モンゴル自治区の阿拉善(アラシャン)左旗のカシミヤ放牧民を訪問。中国・阿拉善産100%カシミヤ原料を使用し、お客様のオーダーでの製品をユーティーオー工場で製造し提供。
2011年

ユーティーオー岩手工場
被災地岩手の雇用促進に少しでも貢献したいという思いから、大震災のすぐ後に山梨から岩手に移転。
2012年
既製ブランドのUTO kitakami をスタート。
岩手県の企業市民として、前年発生した東日本大震災で被災者の方に、UTO kitakamiの商品が1枚売れるごとに100円を寄附することに決めて北上市に寄付を始める。
2013年
東日本大震災の被災者へ、初年度 78,600円の寄附を北上市へ届ける。
5月、工場を北上市下江釣子へ移転。
2014年
東日本大震災の被災者へ130,200円を北上市に寄付。
11月よりふるさと納税スタート。
2015年
東日本大震災の被災者へ221,400円を寄附。
13~14年度ふるさと納税で約2千5百万円の寄附を頂く。
2016年

(発行所:幻冬舎)
東日本大震災の被災者へ400,000円を寄附。
11月幻冬舎より『中小製造業 逆転のブランディング』を上梓。
15~16年度ふるさと納税で2億円の寄附を頂く。
2017年
16~17年度、2年連続ふるさと納税で2億円の寄附を頂く。