カシミヤニットのカスタムオーダー UTO

【奇跡の偶然が重なって】リンキング職人を求めて岩手へ

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よく、「なぜ岩手の北上ですか?」と聞かれます。それまで縁もゆかりもなかった岩手に行ったのには奇跡と言えるほどの偶然が重なっていました。

目次

    なぜ岩手の北上?

     よく、「なぜ岩手の北上ですか?」と聞かれます。それまで縁もゆかりもなかった岩手に行ったのには奇跡と言えるほどの偶然が重なっていました。

     切っ掛けは、リンキングの項でお話ししたリンキングというニット作りで最も大事な工程の出来る職人を求めてでした。
     ニットの製造販売という長年の念願が叶って山梨で製造を始めたのが2005年。苦しい中でもなんとか運営していましたが、なかなか思うように生産が上がりませんでした。その一番の原因がリンキングという工程でした。

     社内に一人リンキングが出来る社員がいましたがほとんどは外部のリンキング屋さんにお願いしていました。そのリンキング屋さんには、UTОのオーダーは効率が悪いということで通常の二倍の工賃を出してお願いしていましたが、量産に比べて効率が悪いのでどうしても後回しになってしまい、なかなか上がってきません。

     このリンキングという工程は根気と熟練を要します。山梨では経験者を採用することは望むべくもないので、工場のオープン時から初心者を募集して社内で養成しようと何度もトライしましたがすぐに辞めてしまい定着せず、山梨以外でも方々リンキング屋さんを探しましたが見つけることが出来ませんでした。
     編みが上がってもリンキング工程でストップした仕掛品が増えて製品までいきません。製品にならないと売上が作れません。

     このリンキングがナローパスで採算が取れなくなり、とうとう山梨工場を閉めざるを得なくなってしまいました。長年の夢が実現した自社工場でしたが断腸の想いで閉鎖を決断しました。
     そんな折、業界新聞に岩手県北上市にあるニット工場が閉鎖するという記事を目にしました。この工場の社長さんは一度だけ当社へお越しくださったことがあり、お疲れ様の電話を入れました。同じ工場を持つものとして工場をやっていく苦しい気持ちを察して労いの気持ちでした。
     先方の社長さんは、苦しい中でも閉鎖が決まってさばさばした様子でした。話の中で自分の処はリンキングの職人さんがいなくて苦しんでいるという話をしました。リンキングの職人さんはどうしているのかを聴くと、「ベテランで技術は確かでだが、岩手にはニット工場はないので代わりに服の縫製工場さんを探すためにハローワークに行っているので、話をしてみたらどうですか?」と、もし私が岩手へ来るようだったらそのリンキングの人を呼んでくれるとのこと。可能性は殆ど無いと思いつつも、もしOKなら断念した山梨工場が復活するかも知れないという淡い希望を持って本人に直接お願いする為に岩手に行きました。

     リンキングの玉澤さんとプログラミングをやっている小原さんの女性二人が待っていてくれました。
     二人はニット作りを続けたいが、山梨へは行かないといあっさり断られました。
     落胆した私を見て、いっそのこと「宇土さんが岩手にきたら」と社長さんに勧められました。思いもよらない提案でした。

     断念した山梨工場の機械はリースなので残りのリース料を払いなが知り合いの工場さんに使ってもらうつもりでしたので、もし岩手へ来たら二台の編み機も処分しなくて済むことが頭を過りました。
     それにしても二十半ばの若い女性二人で工場をやっていくことは危険でありリスクがあり過ぎます。私が岩手に来れるのなら可能性があるが、東京で営業をやらないと会社自体が成り立たないことは明白です。それに工場を始めるには物件を探さなければなりません。遠い岩手で工場の物件を探すなんて不可能で、「やはり工場復活は消えた」と思い、お断りするつもりで、場所もないので難しい旨をお答えしました。
     すると、場所のことならもう一人紹介したい人がいると、遠藤さんという年配の男性の方を紹介されました。そして遠藤さんが自分にも関わらせてほしい。それに、工場に出来そうな処があるので見てほしいと仰るのです。

     遠藤さんは閉鎖する工場の編み立ての下請けをやられていて、機械を借りて設置していた建物があり編機は返却したのでそこが使えると提案してくれました。早速見せてもらい、山梨よりはずっと狭くなるけど一から再出発出来るかも知れないと、微かな明りが灯り、案内してもらいながら謙虚でおとなしい三人でしたが真摯な態度にもう一度岩手でやって見ようという明かりが灯った気がしました。
     帰りの東北新幹線のなかで、あの三人なら断念した工場が岩手で甦るかもしれないという望みが沸き上がりました。
     瓢箪から駒が出たような話ですが、残された課題は山梨から岩手への精密機械の編機の移設が可能かどうかでした。
     東京に帰り島精機の雑賀さんに電話を入れるとすぐにでも可能という返事で、岩手移転の条件はそろいました。

     業界新聞を殆ど読まない私がたまたま手にした新聞に載った岩手のニット工場閉鎖の記事がきっかけでした。
     岩手の方でも、まさか私が山梨の工場を閉めて岩手に移転することはあり得ないだろうと思っていたそうですが、ダメ元で提案してみようということだったようです。本当に奇縁でした。

    わたしが書いています

    株式会社ユーティーオー宇土 寿和(うと としかず)

    宇土 寿和

    UTOの、宇土です。
    「ライブラリー」の記事で、ウールの宝石と言われるカシミヤニットの魅力や特徴を知っていただき、より多くカシミヤ製品を手にとっていただく機会が増えれば幸いです。