カシミヤのわたを「つくる」
カシミヤの収穫は毎年春5月ごろ。カシミヤの毛が冬毛から夏毛に生え換わる頃に熊手のようなもの(もちろん先は尖っていません)で梳き採ります。冬毛はそのままにしていると自然に抜け落ちてしまいます。その前に人間が頂くんです。
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カシミヤの毛は、「刈る」ではなく「梳く」。
カシミヤ(カシミア)は太くて硬く長い剛毛に覆われていますがその剛毛の内側にあの柔らかいうぶ毛が生えています。あのカシミヤのセーターになるのはこのうぶ毛です。
カシミヤは羊のように毛を刈り取ることができないのです。一頭を梳くのに一時間ぐらいかかります。なれない私がやったら10分ぐらいで腕が痛くなってしまいました。採毛のシーズンは一日中カシミヤを梳くのでかなりの重労働です。
野生で放牧されているカシミヤですから毛には樹の小枝やゴミなど一年分の汚れが付いています。この状態の毛は土毛と呼ばれていて、牧民から集められた土毛は60kgもある大きな袋に詰められて選別場に運び込まれます。
これだけ集まると壮観
どうやって運んで来たんだろう
土毛の選別
カシミヤは太くて硬く長い剛毛に覆われていますがその剛毛の内側にあの柔らかいうぶ毛が生えています。あのカシミヤのセーターになるのはこのうぶ毛です。
土毛の不純物を取り除くのが選別作業です。選別作業は人海戦術で、それは女性達の仕事のようです。 体育館みたいな広い部屋に、髪かぶりとマスクで完全武装した大勢のおばちゃんやお姉ちゃんが目を凝らして黙々と選別している光景は圧巻でした。和やかな雰囲気なんですがこんなに多くの人が作業しているのにあまり話し声もなく静かです。怖い監督がいるのかもしれません。
若い娘から年配の人までかなり年齢の幅は広いようです。カシミヤの選別作業は編みや縫製のように熟練を要する技術者と違って、毛からごみや小枝を選り分けたり、こびりついた汚れを薬品で落とすという単純な作業で、決して高い賃金ではないけど、一般の人でしかも大勢の人たちの雇用が生まれるのであまり仕事のない地元では大いに有難がられているそうです。カシミヤのわた作りの工程ではこの選別工程が一番多くの人手を必要としています。
洗毛工程
選別されたカシミヤは洗いの工程に進みます。洗毛の部屋に入ると、湿気と獣の匂いでむせかえっていました。 50メートルもあろうかという洗毛機に投入されたカシミヤは何回も何回も洗浄されて、始めの頃は褐色の濁った水で見る影もない姿ですが、洗われていく内にだんだんと澄んだ水になり、洗いあがって乾燥された毛は真っ白です。でもこの時点では剛毛が入っているのであのふわふわのカシミヤという感じはまだしません。
70年代頃までは、日本の紡績会社でも土毛を輸入してこの選別から洗い、次の整毛工程までも自社で行っていたそうです。その頃は、この洗毛工程で、風向きによって匂いが出るのでクレームが来て困ったそうです。また、汚水処理のいような大掛かりな浄化設備が必要ということで、街中での洗毛がだんだんと敬遠されるようになったそうです。今ではこの工程は日本やヨーロッパでは見ることができません。
土などを洗い流す洗い加工
洗い上がると真っ白
紡績工場で行われる糸作りの3工程「整毛」「紡績」「染色」
ニットを編むには『糸』が必要なのは当然ですが、その糸を作っている紡績会社ではおおよそ次の3工程で糸を作っています。 原毛から『わた』を作る整毛工程。わたに撚りをかけて『糸』する紡績工程と、出来た糸を『染色』する染工程です。その他にも双糸加工などの撚糸工程がありますが、撚糸は外の撚糸屋さんに回すことが多いので、大きくは前の3工程と理解して頂ければ良いと思います。
綿(コットン)や一般にウールと言われる羊などの糸を作る時の順番は前記の順番が普通ですが、カシミヤの場合は『わた作り』の次が『染色』で、染めた後に『紡績』します。これは『わた染め・先染め・トップ染め』などと言いますが、糸につむぐ前のわたの状態で染めるのです。カシミヤは特別に繊細な素材なので、糸になってから染めるとダメージが大きくカシミヤ独特のあの柔らか~い風合いに上がらず硬くなってしまう恐れがあるので、わたの時点で染めるのです。
昔は大変だった!篩加工
色んな紡績会社の現場を勉強させて頂きましたが、UTOでは殆ど東洋紡糸さんのカシミヤ糸を使っていますので、特に東洋紡糸さんには紡績について多くの事を教えていただきました。中でも、製造顧問をされている山下さんから色々ご教授頂いたり、面白いエピソード聞かせていただきました。 東洋紡糸工業㈱は日本で最初にカシミヤを紡績した伝統ある会社で、カシミヤのニット糸では世界的に評価されている会社です。CCMI(カシミヤ&キャメル・マニュファクチャリング・インダストリー)という世界で最高峰のカシミヤの紡績をしている団体のメンバーなんです。 カシミヤの糸では、ヨーロッパに英国のトッド&ダンカンやイタリアのロロピアーナ、カリアッヂなど有名な会社がありますが、我が日本の東洋紡糸はそれらに勝るとも劣らないと評価して使っています。
山下さんは、その東洋紡糸工業㈱でカシミヤ一筋に携わってこられた、カシミヤの糸作りの生き字引のような方です。 山下さんが入社された1960~70年頃の日本は敗戦後十数年、戦争で破壊された工場設備や労働環境は紡績に限らずまだまだ未熟で劣悪で、大変な思いをされたようです。 黎明期の貴重な経験の中で、山下さんが『一番大変!』と言われていた仕事がこの整毛工程の『篩加工』ということでした。
入社してすぐの新人研修で最初に経験させられたのが整毛工程だったそうです。 夏場の暑い盛り、選別の終わったカシミヤの土毛を篩機に入れてふるうと、細かい土砂埃が噴出し部屋中が埃まみれになり、そこで作業する人間は黄な粉をまぶした状態になってしまうそうです。特有の獣の匂いもするし、みんなと一緒に食事をするのもはばかられるような行程で、新人たちはなんとか正式な配属にならないように願った大変な仕事だったそうです。『でも、貧しくてもきつくてもみんな前向きで、明るく活気に満ちた時代でした』と仰っています。そんな先人の頑張りが産業の基礎を築き上げて今の日本の繁栄の元があるとおもいます。
山下さんの言葉で印象に残っているのが、『最高のセーターを作るには、最高の糸が欠かせない。一流の糸から一流のセーターも二流のセーターは出来るけど、二流の糸から二流のセーターは出来ても、決して一流のセーターは出来ない』という言葉です。原料のわたも同じです。その分野分野の匠達が日夜励んで完璧な仕事をすることで、日本の最高のセーター作りを支えて頂いているんですね。
カシミヤのわたを作る上で最も重要な「整毛」
ヒツジ、キャメル、アルパカ、アンゴラなど、カシミヤ以外のウールの毛は、基本的には収穫した毛がそのまま紡績されます。しかしカシミヤは収穫された毛には『刺し毛』と呼ばれる硬い毛と、その内側にある柔らかい『うぶ毛』が混ざっています。 あのふんわりと柔らかいカシミヤの原料にするには、刺し毛とうぶ毛を分けてうぶ毛だけを取り出す必要があります。これが整毛加工でカシミヤ独特の工程です。
この整毛加工はカシミヤのわたを作る上で最も重要な工程で、『繊維の切断や損傷を少なく、さし毛を完全に取り除く』ことは技術的にも最も難しく、この整毛技術で品質の善し悪しが決まるといっても過言ではありません。
カシミヤの原料は色と繊維の長さが重要な品質基準になります。 元々カシミヤのうぶ毛はかなり長いものですが、整毛作業中の繊維切断で短くしてしまうので、この工程で毛を切断させない技術が品質を左右するとも言えます。
整毛加工は、カシミヤを収穫した後、色別に原毛を分けたり、ゴミや汚れを取り除く『選別工程』。毛に付着したフケや砂などを取り除く『篩(ふるい)加工工程』。その後きれいに洗い上げる『洗毛工程』を経て、今回の『整毛工程』がありますが、現在は中国政府の政策で整毛されたカシミヤしか輸出が出来なくなりました。 当社に糸を供給して頂いている東洋紡糸工業もイタリアのロロピアーナ社もゼニア社もこの整毛上りの原料を輸入して紡績しています。
以前、中国の内モンゴル自治区や寧夏(ねいか)回族自治区で整毛加工を見せて頂いた時、整毛されたカシミヤがまるでわた菓子のように柔らかいのに感動し本当に愛しくなりました。
昔は、収穫後の土毛の状態で輸出されていて、各国で整毛していたそうです。中国側としては少しでも付加価値を付けて輸出したいというのは理解できます。でも現実には現地で整毛まで加工してもらわないと先進国では出来ないでしょう。 土毛の選別作業など本当に地道な作業です。土毛の選別にしても、篩加工にしても、これが出来る環境も、低賃金でやってくれる人も先進国にはいないのではなかと思います。
カシミヤの糸を供給していただいている、東洋紡糸工業で整毛加工の経験のある山下さんにお聞きましたが、『それはそれは大変な仕事です。カシミヤ原料は決して最初から綺麗なものではありません。綺麗にすべくそこに人間が携わり、家庭を築き一生懸命に生きることに結び付けるのは今も昔も、日本も中国もありません。とっても大変な加工があって初めてカシミヤ原料として出来上がるんです』という話が印象的で、頭が下がります。
そんな大変な御苦労で作って頂いたカシミヤの原料だから、次の担い手であるセーター作りも心して作らなければと、身が引き締まります。