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幼馴染の雲仙普賢岳の切手

 今年は74才になるので、そろそろ断捨離をしなければと、物や書類の片づけを始めました。色んなものが出てきます。こんなものがと昔の思わぬものが出てくると手が止まり遅々として進みません。
 中学の頃に流行った切手収集。少ない小遣いのなかで集めた品粗なコレクションが出てきて、捨てるにはもったいないのでどこかのNPOにでも寄付しようと思っている中に、「平成新山・長崎県」という雲仙普賢岳の切手が出てきました。
 懐かしいこの切手はこの写真を撮った本人からもらったものです。西川清人と言う写真家で田舎の九州島原の中学の同級生です。
 西川君は地域に一軒だけある写真店の二代目です。町の行事や冠婚葬祭の時には西川写真店の親父さんが来てくれて集合写真を撮ってもらうのがいつものことでした。もちろん中学の卒業アルバムの写真も西川君の親父さんが撮ってくれました。
 1991年6月、30年以上も前のことですが、毎日仰ぎ見た故郷の山が噴火したのです。写真家としての西川君は、地元ならではの絶好のチャンスと写真家魂を揺り動かされ「自分が撮らなきゃ」と、因縁めいた思いで撮った写真が注目され、写真展が有楽町のフジフィルム・フォトサロンで開催されるのを新聞で知り駆けつけました。盛況でかなりの人出でした。
 溶鉱炉の中のコークスのように赤く燃える夜の溶岩ドーム。真っ黒に山を被う噴煙など、地の利を得た西川君ならでは迫力のある見事な写真です。会場で一応に聞こえてくる感嘆の声も噴火の生々しさに対するものでした。でも、私が最も引かれたのは、雨上がりの澄んだ空の下青々とした田圃を一両の島原鉄道が走り、その後ろにすっかり姿を変えた普賢岳が聳えている写真でした。普賢岳にはうっすらと緑が芽生ています。切手にある情景とほぼ同じで涙が出るほど嬉しいふるさとの雲仙普賢岳の写真でした。


 写真を見終わって受付で名乗ると西川君によく似た若者がお辞儀しながら、一通の葉書を渡してくれました。それは西川君が私宛に出してくれた写真展への案内でした。随分昔の住所で行先不明で返送されたもので、東京に行くので逢おうという添え書きがありました。
 東京の写真展の前にこの写真を遺して彼は逝ってしまいました。心筋梗塞だったそうです。
 五十の誕生日を前にあまりにも若い死です。この切手は処分出来きません。合掌

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