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兵隊さんの街だった、青山・六本木界隈

 

ファッションの街からは想像できない時代もあったんだ

 

 青山・表参道界隈はハイセンスなファッションの街というイメージがありますが、それは1964年の東京オリンピック以後のことのようです。それまではごく普通の東京の街だったそうですが、明治から戦前にかけての頃の青山は兵隊さんの街という物騒な時代があったそうです。

 

 明治40年と昭和20年の地図を港区の図書館でもらいましたが、二つを見比べると時代の変遷がよく分かり楽しいです。

  そのころの青山・六本木界隈の大きな敷地はことごとく軍の施設といっていいぐらいです。

 現在国立新美術館のあるところは、近衛歩兵第一連隊で、あの2・26事件を起こした若手将校達がいたところです。国立新美術館のロビーに当時の連隊の建物の模型がガラスケースに入れられて展示されています。

 

 

 第一連隊模型

 

 

すぐ近くの現在の東京ミッドタウンは、明治維新前までは長州藩の下屋敷で、明治になってからは大日本帝国陸軍第一・第三連隊の駐屯地があった処です。青山一丁目の青山墓地下は近衛師団の砲撃場です。

 

 神宮一帯は練兵場があり、青山一丁目のホンダ本社の向かい側には陸軍の最高学府の陸軍大学がありました。

明治神宮は陸軍の演習場。

これだけ軍の施設があったので、軍人さんも沢山住んでいたようです。

 

 軍人ではありませんが、2・26事件で暗殺された時の蔵相・高橋是清の自宅が赤坂のカナダ大使館の隣で高橋是清翁記念公園ですから、この界隈と言えるでしょう。

 国立新美術館

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公の秋山兄弟の兄で、日本の騎兵隊の生みの親秋山好古は北青山に、バルチック艦隊の作戦を作った弟の真之も高樹町に住んでいたそうですが、詳しい場所を知りません。ご存知の方、是非教えてください。

 

 以前この通信で書きましたが斉藤茂吉が院長で北杜夫の楡家の人々の青山脳病院もちゃんと記載されています。

 田口道子さんの、『陽はおちても朝は来る』の中でも、兵隊さんが代々木の練兵場へ向かい、訓練から帰ってくる描写があります。それほど兵隊さんは身近だったんですね。

 また、東京大空襲で青山は焼け野が原になったそうですが、これだけ軍の施設が集まったら絶対に狙い撃ちにされたに違ないと思います。

 

 現在の東京ミッドタウンは、戦後防衛庁になりましたが、その他のところは日本軍が無くなって全く違った施設になりましたが、唯一青山公園の一角が米軍の基地になっていて時々爆音をたててヘリコプターが降りてきますが、ここも未解決基地問題のひとつです。

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