フェデラルパレス ホテル ラゴス・ナイジェリア
フェデラルパレス ホテルに泊まったのは、今から四十年も前で、人生で一番印象深いホテルです。
当時二十七歳、初めてのアフリカ。単身でナイジェリアのラゴスに着いたのは夜の九時過ぎでした。
到着したばかりの空港の暗がりでいきなり数人に囲まれてホールドアップに会い、現金を盗られ、ほうほうのていで辿り着いたチップトップホテルは、パンナムで予約したにも関わらず、エアコンが壊れ、トイレにはウンコが浮いていて、鍵もかからない最悪のホテルでした。
当時ナイジェリアは内戦の後で、ビアフラ難民で大混乱し、その上に海底油田が発見されて、世界中から一攫千金を狙う人たちが群がり国内の治安が極度に悪い時期でした。
チップトップホテルで最悪の夜を明かして、鉄筋コンクリート造りのフェデラルパレス ホテルに着き、満員と断られながら粘りに粘って部屋が取れたときは、要塞の中に避難できたような安堵感を持ったことが甦ります。
渡航の目的は、十年に一回ブラックアフリカで開催されるブラックアートフェスティバルのナイジェリア大会に日本からの参加の道を作ることでした。
交渉はうまくいって参加が出来るようになったのですが翌日にクーデターが起こり、戒厳令が出てラゴスの街は凍りついたような状況になりました。
一刻も早く国外に脱出しないと危険という状況で、ホテル内は騒然。家族連れも多く、欧米向けのフライトはすべて満席状態。様子が分からず、泣き出す人もいてロビーは極度の緊張状態でした。
私もヨーロッパに脱出するつもりでしたが、急遽南に脱出することにしました。幸いにも二時間後のコンゴの首都キンシャサ経由でケニアのナイロビ行きが一席取れるというのでタクシーに飛び乗りなんとか間に会いました。
ラゴスを離陸した時の嬉しさ今でも忘れません。
一方ラゴスでは、クーデター発生前に私が日本大使館を訪問していたので、私を保護する為に探してくれていたのですが連絡が取れず、東京の外務省も交えてヨーロッパとアフリカにある日本のエアラインと公館に私を探す手配がなされていました。
ケニアのナイロビに着いた私に「宇土さんですね?」と、声をかけてくれた人がいました。
その人が「沈まぬ国の太陽」の主人公のモデルになった小倉さんで、日本航空の小倉さんも外務省からの連絡で私を探してくれたのです。
今思い出しても疲れる若き日の想いで深いホテルです。