UTO(株式会社ユーティーオー)

ナイロビ ヒルトン ホテル ナイロビ・ケニア

ヒルトンホテルといえばコカコーラやマクドナルドのように、アメリカ発でアメリカの経済進出の先鞭隊みたいなイメージがあります。それなりのグレードを持ち世界共通のサービスを受けられ、特に発展途上国では一二を争う近代設備をもつホテルですね。もちろんここナイロビでもトップクラスのホテルです。

ナイロビヒルトンはナイロビの街のど真ん中にあり東京でいえば銀座四丁目の角に建っている感じです。それが円形の高層ビルですから一目で分かります。

ナイロビヒルトン表

ナイロビ ヒルトンホテルで一番の思い出が、当時日本航空のナイロビ支店にいらっしゃった小倉さんのことです。
若気の至りというような無謀な仕事で訪れたアフリカ。その拠点がケニヤのナイロビでした。小倉んはそのとき私が最もお世話になった人ですが、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』の主人公、恩地のモデルになった人です。
この本を読んだ人は多いんじゃないかと思うんですが、小倉さんは風貌は映画の渡邊健みたいにはいきませんが、あの小説の中にあるように本当に人間味あふれる素晴らしい人です。

1977、27の無謀の至、一人で東アフリカのナイジェリアを訪れ、ラゴスでホールドアップに合いながらやっと仕事をまとめたのに、直後ナイジェリアでクーデターが起こり、苦労した仕事も水泡に帰してそれこそ命からがらナイロビに帰ってきたときに空港で迎えてくれたのが小倉さんでした。

アダムソンさん羽田(小倉さん)

羽田空港にて 右から小倉さん、アダムソンさんと  左から2人目が宇土

その時の私の航空券の経路は、東京→ナイロビ→ラゴス→ナイロビ→東京で、東京・ナイロビ間は安く探したエアーインディア発行のもので、ナイロビ・ラゴス間はパンナムのものでしたので、どうして日本航空の人がアテンドしてくれるんだろう不思議でした。

実はナイジェリアでクーデターが起こって、ラゴス滞在者をはじめ脱出る邦人保護と安否確認をする為に東京の外務省から緊急手配の連絡がアフリカ、ヨーロッパ中の航空会社に入っていたらしく、そこへ日本人の私の名前があったので当時ナイロビに居られた小倉さんが空港まで迎えに来てくださったんだそうです。そんな事情を私は全く知りませんでした。

これが縁で日本航空とも仕事をすることになり、『野生のエルザ』という、ライオンとの物語を書いたジョイアダムソンさんを日本に招請したりしましたが、後日超エリートで人柄も素晴らしい小倉さんがなぜ日本航空の飛んでいないナイロビにいらっしゃったのかあの『沈まぬ太陽』を読んで解ったんですが、当時の小倉さんはそんなことはおくびにも出されない素晴らしい人でした。

その後訪れた、木の上にあるホテル、ツリートップスを教えて頂いたのも小倉さんでした。

その小倉さんはすでに亡くなられてしまいました。
心よりご冥福をお祈りします。

ナイロビヒルトン

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