俵屋 京都・京都
ホテル観光学を勉強していたころ、一度は泊まってみたい憧れの宿が日本は、俵屋、海外ではパリのオテル・リッツでした。なので、俵屋はただただ憧れの宿でまさか自分が泊まれるとは思いもよりませんでした。
1975年、25歳のまだ若かりし頃、「野生のエルザ」を書いたジョイ・アダムソンさんを日本に迎え、東京、関西、北海道を案内したことがあります。この旅の北海道は、ムツゴロウさんこと畑正憲さんの動物王国に招待して頂きました。
ライオンと人間の愛を描いた「ボーンフリー」という映画と主題歌がヒットし、作者のアダムソンさんを日本に呼び動物保護のエルザ基金への協力を呼び掛けるものでした。
ケニヤから来られるアダムソンさんに日本を視てもらいたいということで私が案内する羽目になり、その準備の為に京都市の観光課に出向いて事情をお話しし協力をお願いしました。
突然訪れた若者に窓口の方は驚かれていましたが、「少々お待ちください」と奥へ。しばらくして観光課の課長さんがニコニコと対応してくださいました。課長さんから、「ジョイ・アダムソンさんの野生のエルザが教科書に載っていて今娘が勉強しているんですよ」という思いもよらない縁でした。
せっかく京都に来て頂けるアダムソンさんを、京都市のお客様としてお迎えしましょうという思ってもみない返事で、京都市を巡るときに京都市の公用車を出して案内いただけることになりました。
そして宿泊先がまだ決まっていない旨を伝えると、旅館を勧めて頂きました。外国人だから何かとホテルのほうが都合が良いと思い込んでいたので意表を突かれた嬉しい提案です。旅館の紹介をお願いしたら、「俵屋さんはいかがでしょう」と、あの憧れの俵屋の名前が出てきたんです。「俵屋は一見さんお断りでは」という私の質問に、私がご紹介しますからということです。こちらとしては願ってもない提案です。ちょっと待ってくださいねと奥に消えて数分度「お待ちしておりますということですよ!」
こんないきさつで、あの俵屋に泊まることになったんです。
舞妓さんのショーを見学するアダムソンさんをおくり出し、物音ひとつしない畳の間から深緑の苔とシダの清楚な内庭を一人で眺めている時間は夢心地の時でした。
以来、もう一度泊まりたいと願っていますが、未だに実現できていません。