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2017.6 上京とは、旅に出ることだった

* カシミアおやじのたわごと *

 高校生の時に旅に目覚めました。2年生の時、未知の世界を見てみたいと、九州を一周する旅を企画しました。遠くへ行きたいとう思いが強かったのになぜ九州一周だったのか覚えていませんが、そのころは九州の外は異郷の地だったのでしょう。

 1960年代の田舎の高校性に、列車に乗れるお金はなく、友人を誘って一番安上りの自転車で9日間で九州を一周しました。翌年も中九州を一週間で巡りました。

  以来旅に嵌り、世の旅行好きにもれず交通公社の時刻表が愛読書でした。高校の図書館で処分する時刻表をもらってボロボロになるまで読んでいました。読書が時刻表なんていうと、ひどく変り者だという印象が有りますが、自分ではそんな意識は全くありません。鉄ちゃんの走りだったかもしれません。

  当時、東京まではいろんな特急や急行が運行していました。寝台特急の「さくら」や急行の「雲仙」などは、長崎を出た列車が、島原鉄道から国鉄の乗り継ぎ駅の諫早に着くのが何時で、東京に着くのが何時と諳んじていた憧れの列車でしたが、九州の田舎者にとっての東京は、今の感覚ではフランスのパリより遠い存在でした。

 

 高校を卒業して東京に出てくるときは、九州から外の日本の旅に出るという感覚で、旅費としてもらった東京までの運賃でどんな旅が出来るかということしか考えていなくて、故郷を離れるという悲壮感は全くありませんでした。ましてや、憧れと言えど、高価な寝台特急に乗って一足飛びに東京に行くなんてもったいなくて、好きな時刻表をめくって何度も何度も旅程を作りました。上京することは本番の各駅停車の旅でした。

  田舎の島原を出て、自転車旅でお世話になった福岡県瀬高のルノワルユースホステルに泊まった後、自転車では行けなかった松浦線に乗り、平戸を訪れて、唐津の虹の松原ユースに泊。その後は何処で降りるか散々迷ったあげく、倉敷の大原美術館を見学しました。エルグレゴに感動しヨーロッパの一端に触れたことで、新しい世界に入った気がしました。

 修学旅行以来の京都は宇多野ユースに滞在し3日間京都を巡り、最後は平塚の湘南ユースに泊まりました。多分そのころ憧れていた加山雄三の影響だと思いますが、結局、田舎を出て一週間後に辿り着きましたが、アッという間でした。

  特急、急行にも乗らない各駅停車で、めいっぱいの切符の有効期間とユースに泊まる旅で上京しました。

 あの頃有ったのは、若さという体力と無謀だけでした。

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