2017.9 始めてのブティック
* カシミアおやじのたわごと *
35年以上も前になりますが、旅行屋から転職しニット屋になって、営業で婦人服のブティックに初めて行ったときのことは今でも忘れられません。
営業担当になって名古屋に出張しました。その最初の店が、今はなくなってしまいましたが、十五屋さんという婦人服のブティックでのことです。
名古屋は地下街がとても発達した街ですが、その一等地にお店がありました。
九州の島原出身の私は、子供の頃鏡でシゲシゲと自分の顔を見ていると、後ろから頭をバシッと!叩かれて、「男がナンネ!」と、母親の手が飛んでくるという、質実剛健が売りの土地柄の田舎育ち。もちろんそれまで婦人服というブティックに足を踏み込んだことはありませんでした。
婦人服店の前を通っていても気恥ずかしく中の様子を見ようと思ったこともありませんでした。こんなお店に入ると思うと足がすくみました。
今日は東京から仕事に来たんですからお店に入らなければ仕事になりません。お客様の来店が途切れるのを待ちますが、お客様が途切れることは無いようです。何度かお店の前を行ったり来たりして、意を決して中に入りました。
店長さんらしき男性に向かって、「アノー、スイマセン」と、声をかけると、「ア!こっちです!」とレジを指差さされました。
「今朝から調子悪いんですよ!訝しげにレジを見ている私を見て、「NCRさんでしょ!?」
店長さんは調子の悪いレジを修理に来てくれたNCRの人だと思ったそうです。ファッション屋にしては服装もダサいし、普通の勤め人風の格好で、「アノー、スイマセン」と、声をかけたのが誤解の元だったそうです。
「イエ、アノー、ニットのレ・アールと申します」
「エエッ!ニットのレ・アールさん?」
「ア、ハイ!」
なんと間抜けな営業マンでしょう!お店に入ってきた時、店長さんは銀行の人かと思ったそうですが、調子の悪いレジのことを本部に連絡したところだったので、てっきりNCRの人だと思われたそうです。
それほど私はファッションには違和感があったようです。笑い話のような、今では考えられないことですが、ニット屋はこんなスタートでした。
今はお店に入るときには「マイド!」で昔みたいには緊張はしませんが、未だに婦人服のお店に入ることにはなんとなく気恥ずかしく躊躇してしまいます。三つ子の魂百までなんですかね。