1999.9 広い海で夫婦仲良く安らかに
* カシミアおやじのたわごと *
お盆を目の前に慌ただしく逝ってしまったお義母さん。入院した初めの頃は、『ここは炊事も洗濯もないし、毎日子供たちが来てくれるので楽だわ!』と言いながら静養気分だったのにひと月足らずの入院闘病で逝ってしまったお義母さんにみんな唖然としました。
入院しての検査で胃癌と判明して、80歳の高齢ではあんまり進まないと油断していたようです。でもお義父さんみたいに見るも辛い闘病生活、快活で暗いことが嫌いだったお義母さんらしいです。こんな不自由はまっぴらとさっさとけりをつけたんでしょうか。お父さんも『なぁんだ!母さんもう来たのか』とお喋りしているんでしょうね。
お義父さんの遺品の船医・西アフリカへの航海日記に、『母さんは人生を謳歌しただろう』と書いてありますよ。子供たちみんなも『お母さんは何不自由なく、好きに生きてきた』と言ってますから、満足の人生だったと信じています。自分の評価とは違うかもしれませんが。
亡くなったのが8月10日、友引やなにやで火葬が13日。丁度お盆の入りで貴方の娘の誕生日でした。
『私は明るい海に散骨が良いわ!』と言っていましたが、『医者は生きている者にしか役に立たないし、僕は末弟で実家の墓に入ることはないから好きにすればいいよ』と無頓着のお義父さん。やっぱりお義母さんの方が強かったね。仕事以外の主導権はいつもお義母さんでしたから。
先月末の予定日は、晴れていたのに波が高くて中止になったけど、二度目の相模湾は穏やかでした。
江の島と富士山を望む絶景の相模湾に砂のように細かくなって和紙に包まれた二人の遺骨は、あっという間に海に帰ってしまいました。捧げた花束の周りをゆっくりボートが旋回して鎮魂の汽笛が鳴った時、また悲しみと寂しさが込み上げてきました。
お義母さんが入院してからは三人の子供全員があの猛暑の中一日も欠かさず看病して、何よりお義父さんと一緒に埋葬できたことに心情的には納得出来たと思います。
また、普段の生活が戻ってきました。ただお義母さんのいないぽっかり穴の空いた普段の生活。この穴は時の経過しか埋められないのでしょう。
強がりでも暫くは努めて明るく生活しましょう。
これからは海を見る度に二人を思い起こすことでしょう。
絶景の海で夫婦仲良く安らかに眠ってください。