カシミヤニットのカスタムオーダー UTO

四半世紀の青山界隈 予定は未定?

 骨董通りの中ほどの小さなビルの一部屋で始まったUTO。1992年ですから、もう26年、四半世紀以上が過ぎました。

  ここへ来た当時の骨董通りは20年かけて拡張されるという事で、通りの両脇のビルをセットバックして建物の2~3階まではせり出しても良いけど、それ以上の階は道路が拡張された時はカットしても利用出来るように建てられていることを聞かされていました。当時の東京都のホームページにもそのことが書いてありました。

  実際に骨董通りのビルの1~2、3階は迫り出していますが、それ以上の階は引っ込んでいて、それでいて面が揃っています。骨董通りの入り口の昨年建った新しいビル、当社の入るたつむら青山ビルやお隣の小原流会館、ニッカウヰスキービルなど比較的大きなビルはすでにセットバックして建てられています

 

 20年とは気の遠い話だと思いながらも、いつも混雑している狭い通りの道幅が広くなり、一本東側のみゆき通りのように、並木が植えられた美しい通りになるということで、どんな種類の並木になるんだろうと、大変楽しみにしていました。

 しかし、あれから26年が過ぎても何の変化もありません。歩道にせり出した電柱もそのまま。最近できたビルは他のビルと同様に一階は迫り出して3階以上は下がっています。いったいあの話はどうなっているんでしょう。

  この頃は10万人ぐらいの地方都市も電柱が無くなりすっきりした空がある処が多くなったのに、東京、いや日本を代表するファッションストリートの骨董通りは電柱がせり出し、車椅子などでは歩道は絶対に通れない通りです。

  青山通りや表参道通り、骨董通りは多くの人が行きかう賑やかな通りですが、一歩奥へ入った青山は比較的静かです。家やマンションやビルの周りにはちょっとした緑が植えられたり、植栽のスペースがない処は鉢植えにというように緑があるのが素敵です。しかし、残念ながら道路は貧祖でうるさい電柱と絡まった蜘蛛の巣のような電線がずっと付きまといます。南青山は1丁目から7丁目まで表通り以外は全てクモの巣状態です。

  以前は表参道通りが主だった観光客も、大通からちょっと外れた青山の良さを知るようになったのでしょう。海外からの観光客もスマホを片手に歩くようになりました。

 街の景観は、努力して作り出すものだと思います。時間がかかるのは理解できますが、東京都や港区の議員さんたちはどんな構想をもって街づくりをしているんだろうか、と悲しくなります。

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