2009.11 沈まぬ太陽の小倉さんとの出会い
* カシミアおやじのたわごと *
沈まぬ太陽の映画が公開されましたね。まだ見ていませんが本は読みました。著者の山崎豊子の小説は大好きでほとんど読んでいます。
3年ぐらいまえ、友人に借りた文庫本の、『航空会社のエリートの主人公が、労組に協力したために経営陣と対立し、アフリカまで左遷され、理不尽な社内流刑を余儀なくされている』、辺りを読み進むうちにふっと、『主人公の恩地はもしかしたらあの小倉さんでは?』と思ったので急いで本の最後を開いたら、小倉貫太郎さんの名前があり、びっくりしました。
小倉さんにはケニヤのナイロビで大変お世話になったんです。
当時、28歳。たった一人、仕事で西アフリカ・ナイジェリアのラゴスに滞在中にクーデターが勃発。国境が閉鎖され空港は欧米への脱出の人で大混乱でした。僕は南のコンゴのキンサシャ経由の便を捕まえケニヤのナイロビに脱出しました。やっとの思いで降り立ったナイロビ空港で『宇土さんですね?』と呼び止められびっくりしました。『日本航空の小倉です。宇土さんを待ってました』。
『宇土さんはラゴスの日本大使館に立ち寄られましたね。その翌日にクーデターが起きて、宇土さんと連絡が取れなかったので、外務省からアフリカ、ヨーロッパの関係先に宇土さんを探すように連絡が入っているんですよ。そしたらこの便に宇土さんの名前があったので僕が迎えに来たんです』。小倉さんの笑顔に会ってクーデター以来の緊張が一気に解けました。
その時僕が利用していたのはパンナムで、日本航空のお客でもないのに小倉さんの親切が身に沁みました。
お訪ねしたナイロビの小倉さんの事務所は、JALの飛んで来ない異境の地で、英国航空に間借りしながら机一つの事務所でした。
その時は事情は全く知りませんでしたが、ナイロビ以来、小倉さんとのお付き合いが始まり、日本に帰られた後、一緒に仕事をさせて頂きましたが、ある日、小倉さんの先輩から、『貫太郎は超エリートだったのに、労組に加担して、中東、アフリカと飛ばされちゃったんだ』。という話を聞いたことを思い出して、主人公は小倉さんがモデルだと確信したんです。
その後、僕が旅行屋からニット屋に転身した為に連絡が途絶えてしまいましたが、小説なのでどこまでが事実かは不確かですが、僕の知っている小倉さんと非常に重なることがあります。
残念ながら何年か前にお亡くなりになられましたが、僕の知ってる小倉さんは、ちょっと髪の毛が薄く、腰の低い、なにより笑顔の素晴らしい人でした。
小倉さんのご冥福をお祈りいたします。(合掌)