カシミヤニットのカスタムオーダー UTO

2012.1 工場移転・山梨から岩手へ

* カシミアおやじのたわごと *

  偶然とラッキーのスタート・震災後の東北に貢献したい

 10年間望んでやっと実現した山梨工場。自社工場があるから一枚一枚のオーダーが出来るのがUTOの最大の売り。しかし、6年間全く採算の取れない工場を断腸の思いで閉鎖する覚悟を決めたのが7月中ごろでした。

 閉鎖することはオープンするよりずっと気力がいります。閉鎖の方法や順番を考え、悶々としていた頃でした。8月1日の業界紙の繊研新聞に岩手のニッターさんの閉鎖のニュースに目が留まりました。知っているニッターさんなのですぐに連絡しました。普段なら新聞はさっと目を通すぐらいでそんな小さな記事に目が止まったことが運命的な縁を感じます。

  その工場の社長さんに以前から人を介して『リンキングの出来る人がいたら紹介してほしい』と依頼していたんです。

 山梨工場の不振の最大の原因はリンキングでした。ニットの編み立ては機械で出来てもこのリンキングというニット独特の縫製の技術者がいないとニットは出来ないのです。 

 話の最後に、『前からお願いしていたリンキングの人の話はどうでか?転職は決まったんですか?』と聞いたら、『そんな話は聞いていませんよ、一人でも行く先を捜して上げたいので、すぐ連絡を取ります』とビックリした様子。『今ハローワークで求職中なので、良かったら是非雇って上げて下さい』と言うことです。

  ひょっとしたら諦めた工場が復活出来るかもと希望が湧きます。でもリンキングの出来る人がいても、今から工場の場所を確保して、設備を整えて、20代の娘が二人で工場をやってゆくのは実際は不可能だと思いが消えません。可能性を求めていろんなケースを考えると、工場を続けるには自分が岩手に移っていくしか方法がありません。そうすると東京はどうするか。千載一遇のチャンスだけどやっぱり不可能か・・・。震災で大打撃の東北や岩手に工場を移すことで少しでも貢献したい気持ちもいっぱいあります。

 とにかく動いていただいた村上社長の好意と、今までの報告とお礼を言いたくて岩手に赴きました。

  がらんとした工場で、村上社長はリンキングの玉澤さんと、プログラムの小原さんを呼んで待っていてくれました。二人も続けてニットをやりたいと言ってくれましたが、実情を話して、『正直、スペースや人の問題で、やはり難しい』とお話をすると、村上社長から、『自分もそう思います、でも場所があるんですよ、是非見てほしいんです』という話にビックリです。

 そこはその会社のすぐ近くにありました。ちょっと狭いけど何とかなる建物とスペースです。今までニットの編み立てをやっておられていた遠藤さんの持ち物だったんです。だから編み機を入れ、作業をするにはピッタリだったんです。内装に手を加えれば立派に使えます。九割あきらめていたのが、ひょっとすると実現するかも、と頭をよぎりましたが、それでも女性二人では難しい、と最後の関門が立ちはだかっていました。

 その時、案内していただいていた遠藤さんから、『自分も一緒に入れてくれませんか?』という申し出に二度ビックリ。遠藤さんも工場の閉鎖に伴って仕事が無くなっていたんです。暗雲がパッと一度に晴れた気分でした。『このメンバーなら岩手工場はスタートできる、岩手に移って来よう!』と確信した瞬間でした。

 7月に断腸の思いで閉鎖を決めた工場がたった一ヶ月で岩手で甦るとは・・・。

  それからは突貫で受け入れ側の内装工事、水道、電気、電話等々。そして山梨からの引越しの手配。編み機は精密機械ですから大変です。

 引越しが10月1日。なんと17日には最初の製品が上がって来たんです。奇跡が起こった工場移転でした。

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