渋谷金王神社
平安時代の末期。此処には渋谷城という城郭があったそうです。
渋谷は渋い川の谷間という意味の、地名から来たものかと思っていましたが、ここ一帯は渋谷氏が納めていたそうで渋谷氏が由来という説もあり、詳しくは分からないようです。
渋谷氏は相模一帯を支配し、薩摩の島津氏にもつながる名家だそうですが、平安から鎌倉時代にかけて源頼朝が実権を獲るまでの過程で源氏側の武将として大いに活躍したようです。
神社の社殿は渋谷区指定の文化財になっていますが、この社殿は徳川三代将軍家光の教育係だった青山忠俊が奉納したそうです。
青山三丁目あたりから、渋谷駅をはじめ、松濤美術館も含む広い一帯がこの金王八幡の氏子だそうです。道玄坂のお祭りのときなどはこの金王神社の神職の方がお祓いをされているし、金王神社の神輿が出ます。
随分前になりますが、この通信の青山・表参道界隈のコラム、『青山の善光寺』でも書きましたが、大好きな池波正太郎の『剣客商売・第十巻の春の嵐』にこの渋谷金王八幡が出てきます。
物語はこの渋谷金王八幡と青山の表参道にある善光寺を舞台に展開します。
主人公の秋山親子が追う暗殺者がこの金王神社にたびたび現れます。
真犯人は次々と殺人を犯しますが、最後に襲われた被害者が死に際に「こん・・・」と言ってこと切れます。
その「こん・・・」が、「金王八幡で見かけた奴に襲われた」ということを云って死んだと推量して、この金王八幡で何日も何日も見張りを続けます。
ある日、この金王八幡で見張りをした後に、近くの青山善光寺にお参りして帰ろうとして、ついに青山善光寺の境内で真犯人を見つけるという、とっても面白いストーリーです。
青山善光寺は、お隣、表参道駅のすぐ近くに現在もあります。
池波正太郎の小説では、信心深い江戸時代の人々が、神社やお寺で息抜きをして、娯楽を楽しむ庶民の様子が活き活きと描かれています。
現在、神社は渋谷警察の斜め後ろの森で、渋谷の外れにひっそりという感じですが、江戸時代はもっと大きな敷地の神社だったようです。
神社やお寺の位置は昔とあまり変わらないようで、江戸時代の絵地図にも現在の位置にちゃんと金王八幡が載っています。
この神社の位置を基に想像すると現在の変化がよくわかります。