カシミヤニットのカスタムオーダー UTO

幻のみゆき通り

ここ青山・表参道界隈には青山通りをはじめ名前のついた通りがいくつかあります。表参道通り、骨董通り、キラー通り、キャットストリートやみゆき通りという名の通りもあります。今回はみゆき通りのことです。

みゆき通りは原宿から表参道を登ってきた表参道通りの延長線上の通りです。
表参道の交差点は十字路なんですが、青山通りも表参道通りも歩道も広い大きな通りなのに比べ、このみゆき通りは両側2車線プラス歩道という狭い通りなので、表参道の交差点はT字路のイメージがあります。でもこの狭いみゆき通りが青山では最初にファッションストリートとして注目された通りなんです。なかでもここ青山がファッション街として知られるようになった切っ掛けがこのみゆき通りにあるフロムファーストでした。

青山橋.jpg

ファッションビルの先駆けともいえるフロムファーストがオープンしたのが1975年。以来、有名ブランドのお店が次々と出店してファッションストリートの先駆けになりました。
表参道の交差点から急に狭くなったみゆき通りに入ると両側に馴染みの店が並びます。コムデギャルソンのショップ辺りから下りになり一段下がったところが全面ガラス積み木のようなプラダ。ヨックモックを過ぎたちょっと先がフロムファースト。道向かいが青南小学校。

ここからがこのみゆき通りの面白いところですが、フロムファーストの角の信号から次の十字路(根津美術館の角)の信号までは約50メートル。通りはいくぶん左にカーブしています。そのまま道なりに行けば切り通しのような外苑西通り(キラー通り)を青山橋という陸橋で超えて青山墓地です。右に行けば骨董通りにT字路でぶつかります。まっすぐ根津美術館の壁に沿って下って行けば、通りは細くなり、その先はさらに二つに分かれてもっと細い一方通行になって西麻布に抜けます。

乃木坂トンネル.jpg

みゆき通りは青山墓地を抜けたらトンネルで千代田線の乃木坂の横に出て赤坂に抜けますが、何年か前までは青山墓地を過ぎたら行き止まりでした。どうしてこんなに変な通りになってるんだろう?きっとなにか計画があったのに、途中で頓挫したんだろうとずっと疑問に思っていました。

この疑問を解決する本に出会いました。田口道子さんという青山で生まれ育った方が書かれた『東京青山1940』という本です。戦前からの青山の様子が愛情深く描かれています。この本によると、戦前、天皇陛下が明治神宮にお参りして真っ直ぐ宮城に帰れるように作った。それでみゆき通りという名前がついたといううわさがあったそうです。行幸の意味のみゆき通りは合点がいきますね。
そんな道路計画が太平洋戦争で中止になって変なところで道が途切れて行き止まりになっていたんでしょうね。この話は信憑性があると思います。明治00年の地図にも点線で計画があります。今、地下鉄千代田線がこのみゆき通りの真下を通っていますが、この地下鉄工事と一緒にトンネル工事をやって乃木坂に繋げたんでしょう。詳しい経緯をご存知の方は是非教えてください。

乃木坂トンネルから.jpg

date

2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2002