1996.8 スイスの高級時計
* カシミアおやじのたわごと *
1996年、あるスイスの高級時計のメーカーのオーナーさんの心に残るインタビューです。
「ライバルは?」という質問に、「これというライバルはないが、ブルガリやカルチェ、アメリカのティファニーなどの高級ジュエリーはいつも注目しています」。
「それでは日本のセイコーやシティズンなどはどうですか?時計マーケットを制圧する勢いですが」。
「以前は強力なライバルと思っていました。危機感もありました。日本の企業は大量な資金を投入して、価格も抑え、マーケットを飛躍的に拡大させました。今や日本は生産量や額では世界一でしょう。しかし、機械としての時計も重要で我々もそれを目指した時もありましたが、今我々はそれ以上にジュエリーを目指して作っています。我々の時計は芸術であり、ファッション商品なのです。だから価格に関係なく、良いものを求められています。これは熟練した技術者と優れたクリエイターがいて初めて可能なことなのです。同じものを大量に生産する必要はありません。また、近代的な設備の大工場である必要もありません。だから大企業である必要は全くありません。我々はこれからも小規模だが世界に誇れる時計を作っていきます」
ある経済紙が、『かつての時計王国、スイスは』という書き方をしていました。それは生産数や売上額という物差しで計っているからでしょう。ある面では正しいが、なにか違う物差しとデータで答えを出してしまって、一番大事なポイントを見誤っているのではないかと思いました。
随分昔のことですが、オーストリア人の知人に、「日本やアメリカでは会社が大きいとか、売り上げが多いとかが、なぜそんなに評価が高いの?」と質問されたことに戸惑ったことがあります。
それまでは、理屈抜きで大企業が良いと思い込んでいました。
「なぜ、大企業は良いんですか?」と、改めて問われても、明快な答えが出来ませんでした。
日本ではいろんなランキングを目にします。売上、マーケットセアー、会社規模、社員数、等々。
これを幼い頃から見続け、聞かされ続けていると、動物学的刷り込み現象で、いつの間にかランクは上が素晴らしい事。大きいことは良いことだ、それが目標だというような潜在意識が植えつけられてしまったようです。