カシミヤニットのカスタムオーダー UTO

1998.8  精霊流し 

* カシミアおやじのたわごと *

  故郷、九州・肥前島原地方のお盆は、シャウシャウシャウというけたたましいクマゼミの鳴き声と刺すような強い日差しのイメージがありました。

 30年ぶりのお盆は周りの風景も人もすっかり様変わりです。中でも変わったのは精霊流し。ショックでした。変わったというより無くなってしまったようです。 

 肥前の国の精霊流しは、初盆の家が2~3メートルの白木の船を作り、その船を提灯で満艦飾に飾り、季節の果物と野菜をお供えして威勢のいい若者が担ぎ暗い街を鉦や太鼓、爆竹で賑やかに練り歩きます。

 故人との別れの悲しみを紛らわすかのように、賑やかに威勢が良くなればなるほど、爆竹や騒ぎの声が闇に吸い込まれ、悲しみと寂しさが増します。

 やがて亡き人の霊を乗せて暗い海に流します。音もなく暗い海に流れてゆく精霊船を見送るのは子供心にも寂しいものでした。

  その精霊船はもう海に流せなくなってしまったそうです。

 お盆の行事は、故人を想って生きている人たちのための行事だと思います。一年に一度、お盆にこの世に帰ってきた霊が寂しくないように、道に迷わないように精一杯の明るい提灯で飾り、食べ物を入れた精霊船で黄泉の国へ送り出してあげる優しい心配りでしょう。

 今はその精霊船を海に流すのは不法投棄になるらしい。ゴミだからキチンと指定された場所で焼却する。一瞬、わが耳を疑うほど以外でショックでしたが、視点を変えると、ゴミと言われてしまえばゴミでしょう。でも、ため息が出てしまいます。

  別段これと云った信心があるわけではないけど、自分の中では霊は暗い海に帰って行くのが一番納得できるものでした。海に流し潮に乗って去りゆく精霊船は、最後を見届けず亡き人を想いを抱いて家路に就くのです。そして、静かに亡き人を偲びながら翌朝を迎えたら、昨夜の精霊船の残骸が浜辺に打ち上げられているのを見て、霊が黄泉の国に帰ったことを実感するのです。

  陸で焼かれる精霊船は私にとってあまりにも生々しい光景でした。海に流すからこそ精霊船。満艦飾に飾り立てるのも、街を練り歩いて大騒ぎするのも、最後には霊を乗せて流すために行われるもの。年に一度のお盆の漂流物ぐらいは拾えばいい。これではどんど焼きです。お盆で一番大事な行事と思っていた伝統の行事が、こんなにあっけなく変わる。あの世と現世を結ぶお寺さんはどう思っているんだろう。

  様変わりしたお盆を田舎で過ごし、これで形にとらわれず父さんとゆっくり自分の心の内で語りが出来そうと吹っ切れたお盆でした。

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