2004.2 亡き母さんへ
* カシミアおやじのたわごと *
母さんが突然父さんの元へ逝ってしまったのが1月28日。東京と九州の島原と離れて暮らしていてご無沙汰なだけに家に帰りついて顔を見るまで何にも手に付かずおろおろするばかりだったけど、母さんの穏やかな顔をみてどう云う訳か落ち着きました。
お取引先さんにご迷惑を掛けないように早々に月末の支払いを済ませ、取るもの取り合えず帰ったけど、島原は遠いよね。
お通夜、荼毘、葬儀、お墓とお寺さんへの納骨、初七日。
故人を偲ぶ暇など全然ないほど忙しい葬儀の行事が終わって東京に帰って日常の生活の帰った今、ことさら明るく振舞っています。そうしていないと母さんが現れきて悲しみが甦るんですよ。
一月に父さんの七回忌があったばかりだからきっと寂しがり屋の父さんが呼んだんだよね。『父さんが亡くなって七回忌まであんたたちにお付き合いしたし、父さんが待っているからそろそろお暇しますかね』と、相変わらずあっさりの母さんらしいよ。
八六歳、足が悪くて車椅子なのに、前の日は友達とカラオケに行ってたそうじゃないですか?悲壮感がなく、呆れてしまいますよ。
父さんは、静かで芯の強い人でとっても尊敬していたけど、母さんは真反対の性格で明るくお喋りで、二人はとってもいいコンビでしたよ。よく、自分の話に笑い過ぎて、「涙がこぼれるぅ」と、笑った姿が目に浮かびます。
いたづら小僧だった幼い頃の僕は、怒られてばっかりだったけど、ことある毎に父さんに感謝し、「家族みんながこうやって暮して行けるのは、父さんのお蔭だから」と、いつも父さんを立てて、決して父さんより先に箸をとったことが無い母さんを見て育った家族は、愛すべき母さんと尊敬する父さんを持てて幸せでした。
本当に二人は仲が良かったから、二人をお手本に僕らも仲良くやっていきます。
お墓の中に一つポツンとあった父さんの遺骨に、母さんをぴったりくっつけて収めましたよ。母さんを亡くした僕らは悲しいけど、母さんと再会してニッコリしている父さんの顔が浮かんでなぜかホッとします。
長患いも苦しみもあまりなく、朝起きたらぽっくりと逝く。僕にもその秘訣を伝授してよね。
最後に、「母さん、僕を生んでくれて有難う」。
これからも毎年、僕の誕生日には「母さん、生んでくれて有難う」を、言います。