1996.1 みんな一緒は、ごかんべん
* カシミアおやじのたわごと *
そんな気持ちはさらさらないのに、知らなかった為に相手を困らせてしまったり、思わぬ体験でその国の習慣や考え方の違いを知ることがあります。
1970年代、添乗員の駆け出しの頃、オーストリアのある小さな街でのことです。自由行動でお昼の時でした。
みんなバラバラに行動していたのですが、小さな街のことで、途中で次々と出会って、結局20人ぐらいで一緒にお昼を食べようということになりました。30人も入ればいっぱいの小さなレストランです。
早速注文。たまたま私が『これにする』と決めたら、それならみんな同じで良いと言う事でまとまりました。日本人にはよくあるパターンです。
するとオーナーシェフが飛んできて、「今日はこれが美味しいよ」、「これは絶対にお勧め」といろいろ勧めてくれるんです。あまりにご主人が汗を拭きながら熱心に勧めてくれるので、その内に「じゃ、俺はこれ」、「私はこれを食べてみようかな」という具合に、遠慮なく自分の食べたいものや興味のあるものを注文し出したんです。
予想した以上の料理で大満足したひと。自分が想像した料理じゃなかった人も、新鮮なチャレンジをそれなりに楽しんで、とっても良い食事が出来ました。
食事が終わって、厨房から出てきたご主人の感想に改めて欧米との考え方の違いを認識しました。
日本人のお客様は初めてだけど、二〇人もの人が同じものを食べたいと言う事にビックリして、どうしても納得できなかったそうです。宴会なら別だけど二〇人分の同じ食事をいっぺんに料理するだけの設備も食材もないし、困ってしまって飛び出してきたのが真相です。
でもこちらとしては『みんなバラバラだったら大変だろうから、同じでいいや、一緒の料理が、作る方にとっても都合が良いだろう』という、一種の思いやりや遠慮が入っているのですね。
考え方や好みが基本的にみんな一緒というところからスタートして、少々の自我は我慢して『和』を保とうとする我々と、人間一人一人違っている、だからその違いを知って、その違いを尊重して伸ばそうとする。どっちにも一長一短ありと思いますが、この違いが面白かったり、悲劇を生んだりするんですね。
海外に出るとよく聞かれますね。
「コーヒーにしますか?紅茶にしますか?お砂糖は?ミルクは?」
日本は黙っていても、冬は熱~いお茶や、暑い夏なら、よーく冷えた麦茶。
この以心伝心の心地よさ。でも知らない人や苦手な人はビックリするかも。