カシミヤおやじの青山・表参道界隈の三十年 (5)
青山の官営住宅は高級マンションに
この30年間、骨董通りをはじめ青山通り、みゆき通り等の表通りは大幅に変わった感じはありませんが、内側の住宅街は随分と変わりました。
経緯はあまり知りませんが南青山には役所や大企業のかなり広い土地と施設がありました。
現在の当社が入るたつむら青山ビルは骨董通りに面していますが、後ろには福井県の宿泊施設がありました。今はグラッセリアという商業施設になりましたが、大家さんは今でも福井県で福井県のショップもあります。
そこの向かいに二年ぐらい前、港区こども家庭支援センターという港区の施設が出来ましたが、元々ここには農水省の寮と宿泊施設がありました。その裏に当たる処にCICADAという人気のレストランがありますが、ここには日本郵船の建物がありそれを改装して使用しているようです。福井会館の斜め前には森のような中に日立の研究所があり友人が通っていました。ここは高級マンションになりました。
骨董通りの奥に岡本太郎のアトリエ兼自宅があり記念館になっていますがそこの後ろは建設省の、その奥は大蔵省の敷地でしたが両方とも現在は超高級マンションです。
ここから表参道方向に進むとNHK青山荘があります。以前は喫茶もあったのですがこの頃は一般客は受け入れていないようです。
みゆき通りを渡って南青山四丁目に入るとフロラシオン青山という文部省関係の宿泊所がありました。ここら辺ではかなり広大な敷地ですが2014年に閉館しました。その後長い間空き地でしたが現在は工事中です。ここもマンションになるようです。
このフロラシオンの角を南へ進むと日銀の青山家族寮が現在もあります。
太平洋戦争前後の頃の青山は都心の外れで、土地が安い頃にお役所や大企業が取得したのでしょう。その土地が、日本の高度成長に伴う東京の大発展でまさに一等地になってきたために「高級住宅街に格安で住んでいるのはけしからん」などと攻撃の矢面に立たされたのでしょう。時代の変遷を感じます。