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勝海舟の氷川邸跡 

乃木坂は骨董通りのUTOから地下鉄千代田線で一駅。愛用のチャリンコでひとっ走りの距離です。

この頃乃木坂を代表するのは東京ミッドタウンでしょう。UTOからもよく見えます。ひところの混雑は静まったようですが、ミッドタウンは元防衛庁で、その前は長州藩下屋敷でした。

幕末の頃、長州屋敷には大きな檜があって、檜屋敷とも呼ばれていたそうです。今も隣接していて整備され檜町公園がありますが、一般の人も自由に入れるので一体化していてミッドタウンの庭園のようです。

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ここから赤坂に向かって下りて行くと氷川神社があります。境内は東京の赤坂とは思えない静かさです。神社に接して赤坂ソフトタウンというマンションがありその角に勝海舟邸跡という碑が建っています。

勝海舟は、幕末・明治維新期に活躍した人で、日本海軍を作った人。日本人が初めて太平洋を渡った咸臨丸の艦長。そして戊辰戦争では徳川幕府側の総指揮官として官軍の西郷隆盛との会談で、江戸城無血開城をすることで江戸の街が戦場になるのを阻止した。等々、近代日本にとても貢献した人ですね。 

何年か前、福山雅治主演のNHKの大河ドラマが好評ということもあって坂本竜馬はとっても人気なのに比べると師匠の勝海舟の人気はいまいちですね。でも、勝海舟がいなかったら坂本竜馬も海援隊も無かったかも知れません。

氷川神社1.jpg

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、勝海舟と竜馬の出会いは、当時、尊王攘夷論者の竜馬が千葉道場の千葉重太郎と一緒に、外国かぶれした開国論者の勝海舟を『たたっ切る』と言って押しかけるのがこの氷川の勝海舟邸です。

勝海舟は、最先端のオランダ語に秀で欧米の事情に通じ、咸臨丸でアメリカまで行って実際のアメリカを体験し、当時の日本では最も海外の事情に明るく日本の封建社会の世襲制度や身分制度と欧米の違いや矛盾を理解していた人だと思います。

一方の竜馬は、土佐の田舎に生まれ育ち、鎖国の日本の封建社会の中にどっぷり浸かり、愛国心の強い純粋な若者。勝海舟から『日本は幕府だ、土佐だ、薩摩・長州だと反目し合っているときじゃないよ、世界はこんなに進んでいる』という話を聞いたときの竜馬のカルチャーショックは強烈だったと思います。竜馬と勝がこの赤坂の氷川邸で日本の将来を語り合ったと考えるだけでワクワクします。

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竜馬は故郷の乙女姉さんに『今にては日ノ本第一の人物勝海舟の弟子になり』という手紙を誇らしげに書いています。 
  
同じ咸臨丸でアメリカに行った福沢諭吉は慶応義塾という学校を作って優秀な若者を育てて日本の近代化に貢献し一万円札にまでなりましたが、勝海舟は竜馬という天才を作った偉人で、もっともっと評価されて良いと思っています。

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