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青山の花見は青山墓地で

みなさんのところにも自慢の桜の名所があると思いますが、今回は青山で一番の桜の名所です。人によってはエ~ッと言われるかも知れません。私の独断と偏見ですが、青山一の桜の名所は青山霊園、通称青山墓地!です。
九州島原の田舎育ちの私にとって墓地はどっちかち言うと暗いイメージがあるんですが、ここはそんなイメージをふっ飛ばすスケールの大きさと豪華さがあります。
墓地が豪華とは変な表現ですが、眠っている人たちがまさに豪華で明治期以降の歴史に名を残すそうそうたるメンバーです。明治の元老・大久保利通を始め、日露戦争の司令官・乃木希典などの政治家や軍人、志賀直哉などの文化人など名前や経歴を聞いたら『あーそう!』と、馴染みの名前がたくさんです。

青山墓地の桜.jpg

青山通りは両側にビルが立ち並び終日喧騒が絶えない大通りですが、外苑前駅近くの伊藤忠本社前のT字路を200メートルも入ると大都会には想像出来ない広大な青山墓地が広がります。8万坪もあるそうです。
墓地の真ん中を800メートルもの桜並木が通っていて春は見事な桜のトンネルです。この時期ランチ時は近くのオフィスから沢山の人が集まります。

ここは、青山の地名の元になった青山忠成が徳川家康から拝領した屋敷の一部ですが、明治になって日本政府に返納され、その後東京府管轄下で、明治5年(1872)、警視庁墓地、西南戦争で戦死した警視隊隊員の埋葬地としてスタートしたそうです。
この青山墓地には日本人だけでなくその頃、宣教師として来日した教育者や、明治政府に雇われた技術者など、日本の近代化に多大な貢献をし、遠い異国の日本で亡くなった多くの外国人も眠っています。

桜.jpg

外国人墓地と言えば横浜や長崎・神戸など幕末の異人さんが活躍した港街が思い浮かびますが、明治期以降はなんと言っても東京で活躍した人が多いようです。

そんな外国人墓地の中で目を引くのが、キョッソーネ(イタリア人ジェノヴァ生まれ)の墓です。 彼は明治8年(1875)明治政府の招請で来日、65歳で亡くなったそうですが、日本にお札や切手の原版製作技術を導入した技術者であり画家でもあった人で、僕らが見ている西郷隆盛の肖像画もキョッソーネの作品だそうです。

青山墓地とミッドタウン.jpg

*追・骨董通りの会社から乃木坂や青山一丁目へは青山墓地を抜けるのが早道なんですよ。 

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