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お江戸郊外の渋谷川

このコラムを書き初めてから、読書中に青山周辺の話題が登場すると俄然気になるようになりました。好きな池波正太郎等の剣客商売や鬼平犯科帳など物語の中に青山が登場すると、現在のどこら辺のことかと興味が湧き、つい古い地図で調べたくなります。

たとえば、現在の地図で、表参道交差点から青山通りを渋谷のほうへ向かうと、宮益坂から急な下りになり、下りきったところが明治通りで渋谷駅があります。その渋谷駅を過ぎると今度は道玄坂ののぼりです。

冨岳36景渋谷川・葛飾北斎.jpg

江戸末期、嘉永6年(1853)の江戸切絵図の東都青山絵図では、今の表参道交差点の辺りで目印になるのが善光寺です。善光寺は江戸時代からほぼこの位置にあり一番の目安になります。善光寺前の青山通りはそのころは大山道とか大山街道と呼ばれていました。
その大山街道の宮益坂を下ると渋谷川という川が流れていて道玄橋という橋がかかっていて、橋を渡って今の道玄坂の登りになっていました。
現在の地図ではこの渋谷駅の下流から渋谷川が地図に現れてきます。渋谷警察の向い側です。 コンクリートに覆われた渋谷川は天現寺辺りから古川と呼ばれ、芝を通って日の出桟橋と竹芝桟橋の間から東京湾に注ぎます。

渋谷川の源流のひとつは新宿御苑辺りで、千駄ヶ谷を通り、今のキャットストリートを流れて、渋谷の手前は明治通りを流れていたようです。明治神宮には今も清正井と呼ばれるところから湧水がこんこんと湧いていますが、この湧水も渋谷川に流れ込んでいて、渋谷駅辺りにはNHKのある高台から宇田川が流れ込んでいました。今でもパルコの辺りの住所は宇田川町です。

原宿駅.jpg

江戸末期のこの絵地図では、川の両岸は百姓地とか畑や田が多くお江戸の郊外ののどかな風景が想像されます。当時原宿は穏田(おんでん)と呼ばれ、水車小屋があったようです。葛飾北斎の富岳三十六景にこの『穏田の水車小屋』という絵がのこされています。大きな水車が飛沫をあげて回り富士の遠景が望まれる絵です。北斎の三十六景に選ばれるぐらいですからさぞかし良い眺めだったんでしょうね。
 
現在は渋谷より上流の水路は地下に埋設され蓋をされて(暗渠と言うそうです)道路等になって姿が見えないのはちょっと残念ですが、あったらあったでどぶ川だったりして失望するのかも知れませんね。

東急東横店はデパートには欠かせないデパ地下がありません。これは東横店の下が渋谷川で地下が作れなかったのが原因だったとか聞いたことがあります。川はどうなっているんだろうと興味がわき、また、ちょっと心配になります。

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