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鬼平犯科帳の青山

大好きな池波正太郎。鬼平犯科帳を久しぶりに再読しました。
その鬼平犯科帳・文春文庫の第5巻 『兇賊』編に青山が登場します。
鬼平の長谷川平蔵が活躍するのは当時江戸の中心と言うべき下町が主ですが、たまに我が青山あたりが舞台になることがあります。地の利ある記述に楽しさ倍増で俄然注目してしまいます。

鬼平文春文庫5巻縮小.jpg

『剣客商売』では表参道の善光寺が登場しましたが、今回の鬼平では外苑前が登場します。

鷺原の九平(さぎはらの・くへい)は60歳を超えた『ひとりばたらき』の老盗賊です。江戸での表向きの稼業は『芋酒・加賀屋』という居酒屋の亭主。処は神田豊島町の柳原土手に面した一角で、近所では評判がよく、特に芋膾(いもなます)が美味しいという評判です。その九平が青山にいました。

小説の中では。
そのころ・・・。鷺原の九平は、青山の久保町にある居酒屋いせやの中二階に、かくれひそんでいた。

この辺りは、現・港区北青山二丁目にあたる。神宮外苑前・青山通りの近代建築がたちならぶ現況からは想像もつかぬほどに、約180年前のその頃はひなびていたようだ。

男は通り向こうの梅窓院(ばいそういん)という大きな寺院のわき道を南へぬけた。突き当たりは青山候の下屋敷で、その塀沿いに流れている小川に沿って、男はまっすぐ南へ行く。さびしい畑道となった。このあたりは起伏が多い。雑木林の向こうに大安寺の大屋根がのぞまれようという丘の上の百姓屋に、男は入って行った。
青山通りへ走り出て、九平は梅窓院のななめ向かいにある青原寺の三門の前へしゃがみこみ、待ち受けた。果たして・・・。文鋏の友吉が青山通りへあらわれた。

青山・鬼平 (外苑前交差点).jpg

外苑前の交差点

江戸時代の外苑前.jpg

古地図にクボ丁あり

たったこれだけですが、港区の図書館でもらった、文政11年(1828)発行の江戸大絵図にも久保町は『クボ丁』と書いてあります。丁度外苑前駅のある三叉路の交差点の辺りです。
通りというのはもちろん今の青山通りで、当時は大山道と呼ばれていました。通り向こうの梅窓院の境内が現在は高層ビルになって、ここ青山の名前の基になった大名、青山家の菩提寺です。

三門の前へしゃがみこんだという青原寺は明治40年の地図には載っていますが、現在は無くなっています。外苑駅の出口から秩父宮ラグビー場辺りが当時の青原寺の敷地だと思います。
今もある梅窓院のわき道を入っていって突き当たりの青山候の下屋敷というのは青山運動場でしょう。

青山・鬼平、梅窓院 入口.jpg

梅窓院は青山家の菩提寺

ここを含めて後ろの青山墓地がすべて青山候の敷地だったところで、ここから望んだ大安寺は大屋根はありませんが今でも大安寺はあります。小川とは窪地を走っている外苑西通り(キラー通り)のことでしょう。

作者の池波正太郎もここを歩いて当時の様子を想像しながら構想を練ったのかなぁ、なんて考えつつ歩いてみるのは楽しいものですが、こんなにビルが立ち並ぶ現代の風景の中から、江戸の昔を彷彿とさせる情景を描き出す作家の力量には関心するばかりです。

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