お江戸青山の古地図散歩
江戸の昔を垣間見る楽しみ
ここ南青山で起業してほぼ30年。その前旅行屋の時に紀ノ國屋の裏で小さな海外旅行の会社を立上げたので、50年近く青山と関わりあっています。
歴史が好きなのでここ青山の昔に興味が湧きます。そんな時に江戸時代の古地図で、江戸切絵図の「東都青山の図」を眺めるのが楽しみです。
江戸時代と現在では道路や町割りが変わり位置を把握するのがちょっと難しいですが、その際に目標になるのが神社やお寺と大名屋敷です。特に大きな神社仏閣は絵が描いてあり位置も現在の位置とそんなに変わらないので目印になります。
東都青山の図では表参道の横にある善光寺と、骨董通りの突き当りの長谷寺(ちょうこくじ)と、今は暗渠になりキャットストリートになっている渋谷川がポイントです。
表参道の交差点の角にある交番の後ろの右奥が現在工事中で見通しが良くなっていて、ここから大きな屋根のお寺が見えます。
気づかない人が多いと思うのですが、ここが善光寺というお寺です。そうです、あの『牛に引かれて善光寺参り』の長野善光寺の別院です。善光寺は日本中に沢山あるそうですが、ここの善光寺は三代将軍の家光の命でここに移って来たそうですから、約400年も前からここにあるようです。
絵地図の善光寺はとっても広い境内のようですが、現在の境内はそんなに広くはありません。しかし、今も山門の両脇には迫力のある仁王像があり、本堂は二層の入母屋屋根が立派なお寺です。境内には何本かの桜があり春には都会の中で桜を愛でられる貴重な処です。
善光寺の周りは武家屋敷と大名屋敷ですが正面は大山道(青山通り)からの門前町があったようです。当時の地図では、通りから門までに2件の武家屋敷があるのでそこそこの距離があるようです。1964年の東京オリンピックの時に青山通の拡張工事で門前町が削られたようで、今では青山通からすぐ近くに門が見えます。
善光寺の後ろは松平安芸守の下屋敷とあります。広島42万石の浅野本家の下屋敷は、善光寺から昔隠田と呼ばれていた原宿のキャットストリートのある渋谷川辺りまでの広大な敷地です。現代の地図で見るとどれだけの広さがあるのだろうと思います。
ファッションの街・青山表参道にお寺さんとはあまりピンとこない取り合わせですが、長年ここで過ごしている者にとって、善光寺の静かな空間はとっても貴重です。表参道から迷い込んだような外国人が興味深そうに写真を撮っている姿を見るとなんだか楽しくなります。
善光寺の奥に最近は巨大で近代的な住居ビルが出来ました。ここは昔大名屋敷松平近江守の上屋敷で以前はかなりレトロな都営団地でしたが、すっかり変わってしまいました。