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楡家の人々の跡  

高校生の頃から北杜夫の小説が好きで殆ど読みました。
特にドクトルマンボウシリーズは『航海記』や『昆虫記』など、軽妙な文章とユーモアが大好きでした。文学小説の方はマンボウシリーズとは一変しちょっと陰にこもったかなり重たい文章ですが、『楡家の人々』、『木霊』や『白きたおやかな峰』などが好きです。中でも『楡家の人々』が最も印象的です。

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この楡家の人々は、文明開化の明治期、山形の田舎から上京し日本で最初に私立で設立された精神病院にまつわる物語。明治・大正・昭和の激動の時代を背景にした物語ですね。

筆者・北杜夫自身の父母、祖父母の実話を元に書かれたということは容易に想像できます。

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医は仁術というより、医は算術みたいに精神病院で大成功した創立者で院長の基一朗は太っ腹で愛すべきハッタリヤとして登場します。
患者の頭に聴診器を当てて、『僕はドクトル・メジチーネでねぇ』と威厳に満ちた言葉遣いで『君の脳は腐っている、でも僕の薬を飲めばたちどころによくなる』とのたまうシーンなどは噴出してしまいます。こんないい加減と思えるユニークなお医者様が患者や患者の付き添いから絶大な効果と信頼を得ているんです。

一方、大病院という成功の元で蝶よ花よと育てられた娘達。対照的に入り婿として有能ではあるが超まじめな夫は、病院経営は不向きと自覚しながらも経営者として病院を支え自らの研究のためにドイツに留学する。この二代目が作者の父でアララギ派の歌人で青山脳病院院長の斉藤茂吉がモデルあるのは言うまでもありません。
そして初代、2代目に比べると恵まれた境遇で裕福に育った為にひ弱で闘争心に乏しい自分たち3代目。そんな成り上がりの家族模様をシャイに幾分自嘲気味に書き上げた長編小説。

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楡家・青山脳病院跡は高級マンション

この舞台の楡家が南青山4丁目17―43。
当社(骨董通り)からすぐです。オージグリーンヒル・アパートメントという高級マンションのあるところで、ここら一帯が楡家の人々の帝国脳病院・青山脳病院の舞台跡です。入り口の港区保存樹木の大きな楠が目印で、句碑が立っていて『童馬山房』と記されています。童馬とは斉藤茂吉の雅号で、大正2年、斉藤茂吉が31歳のときの短歌が刻まれています。

あかあかと一本の道通りたる
霊剋るわが命なりけり
 
明治42年発行の地図にここは青山脳病院と記載があります。多分現在の教職員組合フローラシオンの辺りから、一方通行の入り口のデンマークハウス辺りまでが当時の病院跡ではないかと思います。かなり広大な敷地で、新潮社の単行本の栞に当時の青山脳病院の写真が載っています。この建物の模型を山形の斉藤茂吉記念館で見ましたが、中世ヨーロッパのお城を思わせるような建物でした。

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大きな楠が目印

たまには文学散歩気分で楡家の人々の世界に浸りたいんですが、この頃はここをもっぱら自転車で駆け抜けています。

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