UTO(株式会社ユーティーオー)

2000.9 異教徒と無宗教

* カシミアおやじのたわごと *

 異教徒などという言葉は日本ではあまり使われない言葉ですね。

旅行屋の駆け出しの70年代の初めの頃、お客様のサウジアラビアのビザの申請書の宗教の質問の欄にnon (なし)と記入して、ビザが取れなくて大騒ぎになってしまったことがあります。実際の失敗から学んだ苦い経験ですが、会社の偉い人が頼み込んで外務省から大使館に説明してもらってやっとビザがおりて事なきを得たことがありますが、大いに勉強になりました。

 日本人は、私も含め、『宗教は別にありませ~ん!』と言う人は多いのですが、サウジアラビアだけでなく世界中には『無宗教は危険人物、得体の知れない奴』と、捉える人が多いようです。極端な人は『無宗教は人間じゃない』と言う人もいるようです。

世界的に見ると宗教を持っている人がほとんどで、持っていない人はごく一部でしょう。宗教はその人の根柢にある価値観や考え方の物差しとでも云えるようなことのようです。

宗教の違いによってお互いの違いはあっても、その宗教を理解することで何を基準に考えているか解るということのようです。

キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、等々。各々違いがあっても宗教なりの根本的な真理というか根柢に流れる物差しを持っている人。だから異教徒でも理解することが出来る。しかし無宗教と云うと根柢に一定の基準を持っていない奴、何をやらかすか解らないということで問題外と言うことのようです。

 相手を認めるための判断基準みたいなものでしょうか?

  もちろん、自分たちの宗教には大変なプライドを持っているので、異教徒に対しては寛大であったとしても両方を取り入れることは決してありません。ましてや日本のように異教徒の行事を進んで祝うというのも聞いたことがありません。家に仏壇があって、クリスマスツリーを飾るということは全く理解できない事でしょう。

 クリスマスという神聖な宗教行事を軽々しく扱われることは人によっては侮辱に思う人がいるかもしれません。

  一方、自分の信仰を崇めプライドが高すぎる為に他の考えを卑下したり全く認めようとしない過激な教えの人もいます。お互いに理解しえないのは第一に『聴く耳を持たない態度』ではないでしょうか。心を開いて聴いてみると違いが解ってきます。

  違いを認め合って相手を尊重することが地球人に行き着くんでしょうね。

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