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2000.12 雲仙普賢岳の写真展 

* カシミアおやじのたわごと *

 朝、たまたま朝日新聞の天声人語を読んだら、中学の同級生のことが書いてありました。それは、『雲仙普賢岳十年の記録』という写真展の主。写真家西川清人君のことです。

 彼のことを一昨年の十二月のエッセイ『雲仙普賢岳の切手』で紹介したので、思いもかけない訃報に大きなショックを受けていた頃でした。

  田舎に帰った時に西川君が心筋梗塞で亡くなったことを聞かされビックリしながらも、短い滞在でお線香も上げられず帰京してしまい、なんとも気が済まない思いをしていた時でした。たまたまの新聞記事でしたが、西川君が向こうから知らせてくれたように思い『よくぞ知らせてくれた』と思いながら、お別れの気持ちで数寄屋橋の富士フォトサロンで開かれた遺作展に出向きました。

  故郷の山、噴火した普賢岳を十年間撮り続けた写真展です。地元の写真家らしくあらゆる時間帯とアングルの写真が生々しく、迫力のあるものばかりです。会場はなかなかの盛況で、一応に噴火のもの凄さや自然の脅威などの感想がささやかれていました。

 多くの写真の中で僕が一番気を引かれたのが、『島鉄走る』という題の写真です。『青く澄みきった夏空の下、たぶん深江あたりの緑深い田圃の中を、自分たちも通学で乗っていた黄色に黒いラインの島鉄のディーゼルカーが、一両のどかに走っています。後ろの普賢岳の噴煙も僅かになり、麓まで流れ出した火砕流の跡には緑が萌え始めている』、そんな写真です。なんとホットさせる写真でしょう。

  地元の人間としては普賢岳の噴火の様はあまりにも生々しくおどろおどろしい様で。身を裂かれる気がします。

 この『島鉄走る』は、故郷を離れた者にとっては、普賢さんの怒りも収まり安寧の生活が戻ってきたことを教えてくれる、何よりの便りです。こんな写真を残してくれた西川君の故郷に対する気持ちを嬉しく思います。

  写真展の受付には西川君と似た面影の息子の完君が上京していました。名乗ってお悔やみを伝えると、宛て先不明で帰ってきていた僕宛の今回の写真展の案内状を渡してくれました。やっぱり西川君が知らせてくれたとの思いを深くし、今更ながら田舎にご無沙汰続きを反省しながらも、幼馴染と遺作展だったけど会えたことに感謝しつつ、安らかな気持ちを貰って帰ってきました。

  冥福をお祈りします。 合掌

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