2004.10 肥前島原のお盆
* カシミアおやじからのたわごと *
今年は母の初盆で故郷に帰りました。
私の田舎は肥前の国、島原の北隣の有明という小さな町。物心ついた頃からお盆はどこでもこんなものと思っていたんですが、他所から来た人はこの地のお盆の風習に驚き、その驚きで他との違いに気づきました。皆さんの所のお盆はいかがですか?
旧盆の8月13日になると先祖の霊を迎えるためにお墓を掃除し、お花を手向けてお線香を上げるのは日本中大体同じ様なものでしょう。この後が違うようで、きれいにしたお墓の周りに竹や木を組んで、家の紋の入った提灯でぐるりと囲み明るくご先祖の霊を迎えます。
お墓は、一段二段と櫓のようにぐるりと提灯で囲まれ暗いイメージは全くありません。
陽が落ちてお参りが済むとお墓の周りで花火をやるのが子供達の一番の楽しみ。
広い墓所は花火の色とりどりの閃光と火薬の臭い、人々の喚声で大賑わい。たまに火矢花火の燃えカスが落ちてきても、『おぉ、あぶない』というぐらいで誰も気に留めません。
寂しいはずの墓所はお盆の三日間はにぎやかな田舎の社交場に変身し、しんみりと故人を偲ぶ優雅さは全くありません。
私が子供だった頃、といっても60年も前にもなりますが、初盆の家では帰ってきた霊を黄泉の国に送り返すために精霊船を作っていました。
子供心には、いつもは目立たない普通のオジちゃんが、その日は俄然張り切って近所の若者を指導しながら3メートル近くもある精霊船を一日で作り上げるのです。
薄い木枠の船に藁束で厚みをつけ穂先には青々とした杉の枝が飾られ、船縁には2~3層の櫓に家紋の入った提灯が満艦飾に下げられ野菜や果物が供えられます。
陽が落ちると精霊船は若者に担がれ通りを練り歩きます。若者達威勢のいい掛け声、花火や爆竹やドラのにぎやかな行列は死者との別れの悲しみを振り切るかのようににぎやかに明るく練り歩き、最後に暗い海に流すんです。
暗闇に遠ざかる精霊船の灯は子供心にも寂しく悲しい灯でした。しかし今では精霊船を海に漬けるとすぐに回収して浜辺で焼却するんです。海に流すと不法投棄で法律違反になるそうなんです。流れ着いたゴミを片付ける人の気持ちになると『そうだね』と思いますが、時流に合わなくなった伝統行事はだんだん消えていくんでしょうね。
幼い頃のあの伝統的なお盆の行事も随分様変わりして、改めて時の流れを実感して帰りました。