2005.7 ヨシベのおっちゃん
* カシミアおやじのたわごと *
伊藤さんとの出会いはかれこれ25年ぐらい前、旅行屋からレ・アールというニットメーカーに移って営業で担当していた名古屋の十五屋さんというブティックでお会いし、お互いにニットメーカーと言う同業の気軽な情報交換からお付き合い始まりました。
以来、業界の大先輩として販売のプロとして色んなことを教えてもらい自宅にまで泊めてもらったりするようになりました。
そんな伊藤さんがニット屋をリタイヤーして第二の人生を送る為に故郷の岐阜県恵那市の旧中仙道に沿った武並という小さな町に戻られました。
『山奥に引っ込んでノンビリやってるよ、自然がいっぱいあるから遊びにおいでよ』と誘っていただき訪れた伊藤さんの家は、広い敷地に母屋と離れ、蔵が二つもある大きな屋敷でした。
実家は集落の中で塩や煙草の専売を始め生活物資全般を扱う商家。三枡屋という屋号ですが土地の人たちからはヨシベさんと呼ばれていて、そのヨシベが伊藤さんがやっておられたニットメーカーの由兵衛という名称になったそうです。
その屋敷の通りの向かいがわに駄菓子屋さんを始められて五年が過ぎ伊藤さんは地元の子供達に『ヨシベのおっちゃん』と慕われています。所狭しと置かれた商品は五円、十円、百円の商品で地域の子供達が対象です。
壁には子供達が書いた絵やメッセージなど伊藤さんに対する感謝の言葉が壁いっぱいに貼られ、天井まで達しています。それはここが普通の駄菓子屋さんではないことの証です。
毎朝子供達の通学の時間になると伊藤さんは外に出て前を通る子供達に、『おはよう!今日は図工があるん?』とか、『おはよう!美保ちゃん、今日は走るんだろう、頑張ってな』とか、一人一人と声を交わします。たまにしょんぼり歩いていて返事をしない子には『おーい、孝之!今日はおはようも言えんかぁ?お母ちゃんに怒られたか?』と声をかけると、『お姉ちゃんのバカ』なんて心に溜まった鬱憤を吐き出します。『そうか、お姉ちゃんと喧嘩したか、お前んとこのお姉ちゃんは強いからな・・・』。そんなちょっとした会話で子供達の気持ちのつっかえが取れて歩く後姿がガラット変わって元気になるそうです。
なかなか出来ないと思います、感心していると、『いやーあの子達はお得意様だから』と照れておられるけど、子供のいない伊藤さん夫婦にとってはみんな孫みたいなもので可愛くてたまらないようです。
夏場の休みの日などは店の前で遊んだり、近くの川で遊んだり泳いだり一日中遊んでいくそうです。トイレやテーブルを自宅のように使って、喉が渇いたらジュース、アイスクリーム、お腹がすいたらカップラーメンとなかなか繁盛のようですが、伊藤さんはルール違反する子や間違ったことにはびしっと叱る大人の存在で、お店は躾の場でもあります。
叱られながらも優しく見守ってくれる伊藤さんを慕って子供達が書いてくれた絵や文がお店の壁に貼られているんです。学校の旅行で行った時にお小遣いを出し合って買って来てくれた刀の携帯ストラップや五重塔の置物まであります。
そんな伊藤さんに地元の小学校から社会科の授業の先生の依頼が来ました。
実社会の勉強で、伊藤さんが営んでいる駄菓子屋さんを例にした商売の成り立ちの授業です。子供達が書いた臨時の伊藤先生に対する感想文と授業風景の写真が冊子にまとめられた一冊を読ませてもらいましたが、きっと楽しい授業だったんだろうなぁと想像されます。教壇の伊藤さんも様になっています。
長年ビジネスの最前線で経営者として活躍され貴重な経験と知識をもった母校の先輩として、暖かい気持ちと愛情を持って子供達と接してくれる大人がいることは子供達の親にとっても有り難い存在だと思います。
そんな伊藤さんに、毎年春になってゴルフクラブを担いで会いに行くのが楽しみです。