2014.8 関谷晋著・コーラスは楽しい 岩波新書
*カシミアおやじのたわごと*
図書館で岩波新書の関屋晋・著の『コーラスは楽しい』を見つけました。懐かしい関屋先生の名前に再会し早速借りて読みました。記述の中に一緒に旅したブルガリアの音楽コンクールの記述があり当時が甦りました。
関屋先生は残念ながら2005年に亡くなられましたが、日本の合唱の大功労者です。関屋先生とは2度ご一緒に旅したことがあります。最初は76年に大東文化大学混声合唱団の学生たちと、『ウィーン青少年音楽祭』に参加する2週間の旅。そして2回目は翌年、湘南市民コールとブルガリアのヴァルナでの『国際合唱コンクール』出場で、このときは日本代表の感がありました。
現在もそうですが日本のアマチュア合唱のレベルは世界でもかなり高いのです。
音楽をやっていればアマチュアでも本場のヨーロッパで歌ってみたい、外国の人たちにも聴いてもらいたいというのは究極の夢です。私たちの旅行会社は、そんな日本の優れたアマチュア音楽家たちの夢の実現をサポートし、日本の文化を世界に紹介する旅行が専門で、普通の旅行屋とはかなり違った旅行屋でした。1970年代の頃ですからまだ海外旅行が特別な時代です。
海外への演奏旅行は経済的面はもちろんですが、学生以外は全員そろって長い休みを取ることが一番大変でした。70年当時は仕事が何より大事、『素人の趣味で何日も休みを取るなんてとんでもない』という風潮で、コーラスのメンバーの皆さんがそろって休みを取るためにはいろんな仕掛けが必要でした。
湘南市民コールのブルガリア出場はすぐに決まったんですが、77年当時は冷戦下で通信事情が悪く、正式な招待状が届かなくて苦労しました。
招待状が届き、マスコミに大々的に取り上げてもらえると、日本代表や藤沢市の代表として休暇も取りやすくなる。そのように渡航することの下地作りが大変な時代でした。その後やっと行けるメンバーが決まるという状況でした。
ブルガリアでの湘南市民コールの成績は2位。関屋先生が最優秀指揮者賞と成果は上々。荘厳なオペラハウスでの表彰式が感動的で今でもそのシーンが蘇ります。
日本へ帰国する前日の打ち上げパーティの時、思いもよらず、旅行の裏方としての労をねぎらう感謝をこめてということで、僕のためにみんなが『荒城の月』合唱してくれました。懐かしい日本の歌を見事なハーモニーで歌ってもらい涙が止まらなかった経験があります。ブルガリアでの貴重な想い出です。