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オテル・ドゥ・ルーブル パリ・フランス

 パリに行く機会があったら絶対に泊まりたいと思っていたホテルが二軒ありました。

一つはホテル王・セザールリッツが作った世界一のホテルと評価されるオテル リッツ。もうひとつが、

このホテル ドゥ ルーブルでした。

 オテル リッツは誰もが憧れる超有名ホテルですが、このホテル ドゥ ルーブル一は一般にはそんなに注目されるホテルではないと思います。

 

 ホテルルーブル

 

ホテル ドゥ ルーブルはルーブル宮殿からオペラ座に向かうオペラ通りとサントノーレ通りの角にあり、どこへ行くにも便利なところにあります。創業が1855年という歴史あるホテルです。泊まったのはニット屋になってからの出張の時と。もう一回は添乗で甲南女子高のコーラス生徒達とです。

 このホテルに興味があったのは、パリで日本人が最初に泊まったホテルという、歴史的なホテルだからです。

 

 その最初の客というのが、徳川幕府が派遣した遣欧使節団で外国奉行の竹内保徳を正使にあの福沢諭吉ら36名のお侍様ご一行です。

 尊皇攘夷で世状が厳しい幕末。鎖国の日本から初めて訪れた日本人の驚きはいかばかりかと興味がありました。

 英国海軍の蒸気船で、1862年1月21日に品川を出て、長崎、香港、シンガポール、セイロン、イエメン、スエズ、マルセイユを経て、4月7日パリ到着という2ヶ月以上の長い長い時間をかけて一行がこのホテルにチェックインしたのは1862年4月7日だそうです。

 

 オペラ通り

 

 福沢諭吉の『福翁自伝』に『ホテルの中で迷子にならないか心配だった』などとこのホテルのことが書かれています。福沢諭吉はパリに来る前に日米修好通商条約の批准の為に、日本人が始めて太平洋を渡った、あの咸臨丸での訪米の経験があったので他のメンバーとは随分と違ったと思いますが、他のメンバーはさぞ驚き戸惑ったことでしょう。

 西洋の知識は殆どない鎖国の日本から来た彼らは食事が心配で沢山の白米を持参したリ、行燈・蝋燭・提灯などまで用意していて大荷物で行ったようですが、部屋や廊下は無数のガス灯がつき、食事はいかな攘夷嫌いでも満足するような食事が出てきて驚きの連続だったようです。面白いですね。

 

街並み

 

 1973年に始めて訪れた現代人の私でもヨーロッパと日本のあまりにも違う文化に大きなカルチャーショックをうけたのに、ちょんまげに両刀を帯びた紋付袴姿の彼らにパリ市民もさぞかし驚いたでしょうね。想像するだけでおかしく、また日本の必死さを感じます。

 初めてこのホテルに泊まった最初の夜は、当時の日本の侍達のことを思い、なかなか寝付けませんでした。

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