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八ヶ岳高原ヒュッテ 南牧村・長野

 今回のホテルは想いの深いホテルですが、残念ながら現在は営業してないホテルです。

  甲斐性がなく、自分の会社を始めてからは休みを取る余裕がなく随分とご無沙汰ですが、1980年代は、毎年夏になると八ヶ岳高原へ行っていました。泊りはほとんど、以前紹介した八ヶ岳高原ロッヂでした。

  八ヶ岳高原ロッヂは広大な別荘地の中にあり、街からかなり離れ、隔絶間が満喫できる大人のリゾートです。

この八ヶ岳高原ヒュッテはその八ヶ岳高原ロッヂの中でカフェを営業していて、ロッヂからいつも散歩に行く処で、初代支配人の杉本さんから、「向こうも泊まれますので、是非お泊りください」と勧められて滞在を伸ばして泊まりました。残念ながら今は閉鎖されて夏場とゴールデンウィークにカフェで営業しています。

 

 徳川家の別荘を移築したと言うドイツ風の建物のヒュッテはこの別荘地のシンボル的存在で、荒削りな木の柱に白い壁の山小屋は八ヶ岳と見事な調和しています。それもそのはず、八ヶ岳と調和が取れて敷地の何処からでも望める場所としてここに決めたとことを杉本さんに教えてもらいました。

 晴れた日はここから八ヶ岳の山頂直下の山小屋まで望めて、その迫力に圧倒されます。

 この建物は、尾張徳川家第19代当主、侯爵・徳川義親公の邸宅だったそうです。

 義親公は、幕末の四賢候と呼ばれた越前藩主松平春嶽の子で、尾張徳川家へ養子に入り、徳川美術館などを開設した人です。

 尾張徳川家は、明治維新以後武士の職を失った旧尾張藩士を養うために、北海道の八雲町の開拓を行います。

 ヒュッテの階段手すりの見事なクマの一刀彫が印象的で記憶に残っていますが、北海道名物の熊の木彫は、義親が開拓民たちの生活の糧の為にスイスの熊の木彫をヒントに導入したのが切っ掛けだそうです。

 現役で宿泊施設として使われていた時、夏でもストーブが入っていて、歩くとギシギシと音をたてる床や、全館で一つしかない不便なお風呂場。一階のこぢんまりしたダイニングなど、ホテルというより山小屋という雰囲気が懐かしく想い出されます。

 夜中に凄い風の音で目覚め、八ヶ岳の自然の厳しさを体験したことが懐かしいホテルです。

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