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雲仙観光 H 雲仙・長崎県

今回はわが故郷のクラシックリゾートホテルです。
雲仙観光ホテルのオープンは1935(昭和10)年。長崎県が建設し雲仙観光ホテルが経営を受託。主に外国からの観光客による外貨獲得が目当でした。
当時の鉄道省の政策で、この頃上高地帝国ホテル、六甲ホテルや蒲郡ホテル等の多くのホテルが建てられました。

雲仙観光ホテル正面.jpg

雲仙へは子どもの頃父親に連れられて何回か登山しました。田舎にいたのは高校までですからこんなリゾートホテルに泊まるような感心もありません。もちろんそんな身分でもありませんでした。小学生の時、雲仙観光ホテルに天皇陛下が泊まられて大騒ぎだった思い出があります。
その後旅行屋になりホテルのことを勉強し、ここが歴史的なホテルと知り、田舎に帰ったらチャンスを作って是非泊まってみたいと思っていました。でも田舎に帰ってホテルに泊まるというのはなんとなく嫌味で気が引けます。そこで姪っ子達を引き連れて『いざ体験宿泊』。
なれないホテルに、喜んだり緊張したり。他のお客に迷惑を掛けないかと冷や冷やのし通し。私の念願は叶ったけど、子どもたちにとってホテルなんて楽しいお泊りではなかったかもしれません。

バブル期に建てられた豪華リゾートホテルとは異なり、雲仙観光ホテルは素朴な山小屋風ウッディホテルで、嬉しいことに当時の雰囲気をそのまま残している建物です。国の登録有形文化財でもあります。

雲仙観光ホテルロビー

大航海時代以来、東洋に進出したヨーロッパ人達は本国と違う高温多湿のアジアの夏にはかなり閉口していたようで、インドのカシミールやマレーシアのキャメロンハイランドなどの涼しい高原リゾートを開発し長期休暇を楽しんでいたようです。
明治になって日本が欧米諸国と国交を開くと長崎を足がかりに近場の香港、上海、澳門、マニラ等に滞在している外国人達の出掛けるリゾートが風光明媚な島原半島だったようです。特に雲仙は標高が700メートルと涼しく明治末期の雲仙は大勢の異人さんが訪れる国際的なリゾートでした。現代版ハワイやバリ島といったところでしょうか。
1898(明治31)年、上海の英字新聞に、『上海から48時間以内で、安価で楽しめる、伝染病の心配のない衛生的な保養地・雲仙』と、雲仙を絶賛する記事が掲載されています。

雲仙が日本で最初に国立公園に指定されたのが1934(昭和9)年。あまり知られてはいませんが、日本で最初のパブリックのゴルフ場が雲仙ゴルフコースです。きっと外貨獲得が目的の外国人観光客向けだったんでしょうね。
日本に数ある観光ホテルという名前もこの雲仙観光ホテルが最初なんですよ。

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